釜山日報 1930年(昭和5年)1月12日付より引用 見逃がせぬ出稼人の送金

 金泉郡は慶尚北道の郡の一つである。1929(昭和4)年の内地渡航者のうち、女性紡織工の多さが目立つ。大正初期から大阪南部の東洋紡績などで主に済州島、朝鮮南部在住者の採用が続いており、それを反映したものかとも思われる。

本資料は韓国国史編纂委員会韓国史データベースに所蔵。

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見逃がせぬ出稼人の送金

昨年中金泉郡内だけで

十萬圓からある

(金泉)金泉郡内に於ける地渡航者の數は年々增加して居るが昭和三年度及昭和四年度の人員は左の通り(警察署調査)

 

    昭和三年度   昭和四年度

東京府   八二名     二〇四名

大阪府   一二三      一五二

京都府   四〇      一一三

福岡   八四      一四六

山口縣   六五      一〇三

他 縣 一、〇六一   二、五〇三

 計  一、四五五   三、二二一

 

歸鮮者数は三年度に四百七十八名四年度六百八十二名にて彼等地渡航者の職業は昨年度分

 

         渡航者                歸鮮者

        男     女             男     女    

職 工   四九三   二三          八九     六

抗 夫  二三八    三          四〇 

紡織工   五四   一〇八          七     三七

産業見習?  五八    三           八 

商 業   九一    八          一三     一

其他勞働 一二三九  一六一        三二     三七 

雑 業  二、七四三 四八一        一〇五    二六

 

因に右統計に依れば三年度に於ける渡航者數の少くなかりしは御大典警戒が根本的原因である、右に就て三坂高等主任は語る。

 

彼等内地渡航者が鮮内の親元に送金する金額は三年度に於ては七萬四千七百三十六圓、昭和四年度にては十一萬六千八百餘圓と言ふ莫大なもので中には舊正に際し携へ歸る金額も莫大の額に達 ると