大阪朝日新聞附錄朝鮮朝日 1939年(昭和5年)2月20日付より引用 内地の朝鮮人労働者、全協に挙って加盟

朝鮮人労働者の労働運動と組織について。朝鮮人労働総同盟は、1925(大正14年)年に東京や大阪など大都市の複数の朝鮮人労働団体が合流して結成された。「左翼」と評されているのは、金天海が中心人物の一人であるなど共産主義的傾向が強かったためであろう。1928(昭和3)年のコミンテルン後援の赤色労働組合インターナショナル大会での勧告から、同盟の解消と日本共産党指導下にある日本労働組合全国協議会(全協)への合流が提起された。金斗鎔らは賛成したが、民族的闘争を放棄するものとして反対が起き内部闘争も発生した。結局、記事本文にあるように大部分の構成員は全協への合流を選択し、この年の10月に同盟は解消して全協に再編された。

本記事は韓国国史編纂委員会韓国史データベースに所蔵。

Author
    Page 1

內地の朝鮮人勞働者、全協に擧って加盟

內地人と共に左翼陣營に立籠る

警務局は警戒に腐心す

 

 

【京城】

 

內地にある朝鮮人勞働團體は何れも左翼の朝鮮人勞働總同盟に屬ししば〳〵祕密出版物、宣傳ビラを鮮內に郵送して民族運動およびその他の運動を刺激し當局を手古摺らせてゐたが、昨年來運動方針の轉換を叫ぶもの漸次數を增しつひに昨年末に至り東京、京都、大阪、兵庫、神奈川、愛知、千葉、三重、和歌山、北陸、新潟の十一地方朝鮮人勞働總同盟の組合員三萬餘人は一齊に解黨を決議し、今後は政治運動に關與せず內地人左翼勞働者と一致して勞働者の經濟的開放に突進すると叫んだ、かくて東京、京都の總同盟は本年に入って漸次解黨し直に內地最左翼の勞働團體たる日本勞働者全國協議會に加入、內地勞働者と固く結び合ひその後總選擧戰に入るや他の九地方總同盟も急に解黨を急ぎ昨今では殆ど全協に加盟して仕舞つた、全協は最も急進的な勞働團體として當局から嚴重監視されてゐるものであるので當局では前記朝鮮人勞働團體が擧つてかゝる急進的の全協に飛び込んだことにいたく驚き、警戒を更に嚴にすることとなつた、朝鮮人勞働者と内地人勞働者の一部分が左翼團體を盛立てたといふのなら兎も角かゝる多數の勞働者が擧つて左翼陣營に立てこもれば勢ひその影響が鮮內にもおよぶべきことは火をみるよりもあきらかなことであるとて警務局では今後の査察警戒をいかにすべきかに腐心してゐる