北鮮日日新聞 1929年(昭和4年)12月17日付 より引用 内地への渡航、お互に考へもの
1928(昭和3)年7月、内地渡航希望者に対して、地元の警察署で渡航申請を行い釜山警察署宛ての紹介状を発給することで、漫然渡航を釜山ではなく地元の段階で阻止するよう制度が改められた。
この紹介状を得るために、他者の氏名や戸籍謄本を利用したり、内地在住の知人と共謀して雇傭証明書を偽造したりその家族と偽ったりする虚偽申請が出現したが、摘発されたものの多くは起訴猶予で意見訓戒の上放免、あるいは単に説諭で済まされた。また、1929(昭和4)年前半の慶尚北道では、内地渡航者のうち、阻止に応じず渡航を敢行したと推定される者が6~10%いたことが、慶尚北道警察部『高等警察要史』(1934)に記録されている。
本記事は韓国国史編纂委員会韓国史データベースに所蔵。
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(淸津)近來內地に行きさへすれば黃金の雨でも降る位に朝鮮人として內地渡航を志すものが多くこの漫然渡航の結果は內地へ行つても職がなく衣食の道に窮した結果不良の群に投ずるものも尠からず、いまや警察當局では之が取締に腐心し鮮人內地渡航者は所轄警察署で證明を附する事に決定したがこれまた申込み殺到で警察でも手を燒いて居る有樣である
由來內地より歸省する者は何れも相當な服裝をして且つ彼等の話は口をきわめて內地を譽めて居るが事實に於て內地出稼鮮人の實情は左樣裕福なものではなく昨今の如く簇出する希望者を悉く渡航せしむるに至っては遂には出稼朝鮮人閒に於て共喰ひとなる有樣なれば
この際內地渡航はお互に熟考すべきであると