労働調査報告第28号 朝鮮人労働者問題
大阪市社会部調査課編纂『朝鮮人労働者問題』(巌南堂書店 1973)
大阪市社会部調査課が『労働調査報告第28輯』として、1924(大正13)年4月に弘文堂書房から出版したものを厳南堂書店が復刻出版したものである。大阪市は、大阪市内の労働環境や労働者の状況などに関する調査統計資料を、第1輯(1919(大正8)年)から第50輯(1926(大正15)年)までは『労働調査報告』、第51輯(1927(昭和2)年)から第260輯(1942(昭和17)年)までは『社会部報告』として編集発行(第1輯~第3輯は調査係、第4輯~第8輯は労働調査課、第9輯~第260輯は社会部調査課が編集、また第26輯など10輯は弘文堂が発行)していた。大阪市内在留の朝鮮人に関するものとしては、第120輯『本市に於ける朝鮮人住宅問題』、第133輯『本市に於ける朝鮮人工場労働者』、第177輯『朝鮮人労働者の近況』などがある。
本書では、大阪市内の朝鮮人労働者の状況だけでなく、朝鮮人の朝鮮外への移動、移住の沿革と現状、朝鮮の当時の経済発展状況、歴史的な小作制度の慣習に至るまでを詳述しており、また、大正末期に牛豚の内臓を使った所謂「ホルモン料理」が大阪に存在したことを記録している点で食文化の観点からも興味深いものとなっている。
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序
近来朝鮮人の内地渡航の数は滔々決河の勢である。同時に内地各都市に於て朝鮮人労働者の姿を見ない処はない。朝鮮と内地との交通が日に月に開けて。内鮮人の往来が益々頻繁となるは、誠に喜ぶべき現象であつて、内鮮触和の前提として。歓迎すべき理由こそあれ、之を、兎や角問題視すべき事由はない筈である。然るに、朝鮮人が無制限に来往する此社会事実を、一つの重大なる社会問題として、頻りに論議さるゝ矛盾を呈して居る、だから、茲に一応此問題を調査研究して見る必要が生じて来るのである。
朝鮮人の自由渡来が問題になる所以は、寧ろ数の問題でなく、質の問題である。偶々、彼等が殆んど全部労働者であるてふ事に存する。僅少の懐金、一包の携帯品より所持せざる、能力の低い労働者であるてふ事に帰着するのである。彼等朝鮮人労働者は、唯、内地へさへ来れば、幾らでも金儲けの蔓が掴めるやうに心得、着のみ着まゝで、漫然として渡来するのである。其期待の裹切られるのは当然の事であるが、そこに無理解な自暴自棄があり所謂不良な振舞が行はれる事ともならう。
一体、文化並に生活程度の低い労働者が、より高い場所へ流入する場合には、必ず、そこに排斥の問題が起る。程度の高い労働者の生活が脅かされるからである。而して内面に於て、或種の偏見を益々深くせしむるものである。然らば果して、経済的方面より見て、朝鮮人労働者が我労働市場にそんな大きな影響を与へて居るだらうか。内地社会は朝鮮人労働者が経済上に何か渦巻を起す可き事を予想して、風雅鶴唳に驚かさるゝの神経衰弱に罹つて居るのではなからうか。元来、内鮮労働者の間には、労働単位としての能率に、大なる相違があるから直ちに、リプレースメントの問題には逢着しないのである、恰も日傭労働者の増加は、著しく熟練職工の生活を直接に脅かすことが少ない、と同じく朝鮮人労働者の来住は、直ちに、労働の廉売によりて、内地労働市場を擾乱するものではないと思はれる。唯、現今労資関係が著しく逼迫して居る際であり、労働者の不安其極に達し居る秋なれば、朝鮮人の来住を早速危険視して、民族的偏見を逞しくしたものではなからうか、思ふに朝鮮人労働者を問題視する根本は、経済上の結果からと謂ふよりも、寧ろ心理上の何物かではなからうか。
朝鮮人に対し内地人が有する一種民族的の偏見は、掩はんとして、尚能く掩ひ得ざるものがある。之が為め、内地民衆が朝鮮人の真価を尊重して、公平に朝鮮人を判断せんとする時にも、内地民衆の心中は何時とはなしに混乱の生ずることを避け難く、其結果、朝鮮人に対する処置にも矛盾を生ずる事に心ならう。如何にして、斯かる心理作用が起るかと云ふ原因につき研究せんに、民族的偏見の中に含まるゝ凡べての紛乱せる感情を分類すれば、民族上の敵意、民族上の傲慢、民族上の良心の三つを挙げる事が出来る。民族上の敵意とは、主として低級文化国民間に民族上の反抗を有する経済的競争者の間に発見せられ、民族上の傲慢とは、より社会的にして美学的である、而して他民族の蚕食の為めに危殆に瀕すると見える自民族の伝統に対する、忠義心の発露である。第三の民族的良心とは、一層高級文化の間に現るゝもので、此世界に異つた数民族の現存することを承認した上で、一層科学的且つ人道的なる観察点から、自民族を評価するのである。是等三種の態度に伴ふ感情の基調を、怒り、恐れ、愛、と名づける事が出来る。言ひ換ふれば、憎悪、懸念、懇親、である。内地人の朝鮮人に対する意見を研究すれば、右三様の態度の存在することが発見される、而して、之を根軸として朝鮮人問題の論議が簇生するのである。唯、此間に共通した流れは、此偏見が階級の低度に比例し、原始的感情が深くなるものであつて、朝鮮人を憎悪するは、畢竟、無学者の致すところであると、結論する事が出来はしないかと思ふ。
内地人多数者間に、朝鮮人に対する純真なる友情の存在することは疑ふべくもない、今日迄に、多少内地人の態度に排斥的傾向が見えたとしても、其れは、決して、内地人全体に通じて当て嵌むる事は出来ない。但し朝鮮人に対する反感を誇張する意見を集むる事は頗る容易である、何故といふに、反感に関する方面の材料は、友誼に関する材料よりも、人口に膾炙し易いからである。
然し朝鮮を併合せし主旨より推せば、朝鮮人を完全に保護指導すべきは吾人の義務である。吾人が朝鮮併合に因つて負ふべき損失は、当然吾人が支払ふ可きものである。何となれば、韓国の不完全なる独立は、実に帝国としては獅子身中の虫であつたからである。一等文明国の国民を以て任ずる吾等に、彼等新附の民を絶大なる愛の力を以て抱擁なし得ざる理由が何処にあらう、彼等が生存競争場裏に於て敗北なす事は、自然の法則として一般民衆の直ちに如何ともなし得ざるところであるとしても、少くとも、心理上に於て民族的に原始的偏見を抱くが如き恥多き傾向は、直ちに撃退するに非ずんば、如何に為政者が彼等を完全に保護指導せんと欲しても、其実を挙ぐるに由なきことである。
第一章 朝鮮人労働者の調査に就て
労働市場では、生活程度の低いもの程有利である、より安い賃銀で、より困難な仕事を、より長い時間やれるものが勝ち、資本家に歓迎されて、より高度の生活程度にある労働者に、排斥されるのが通則である。近時経済界不况にして、内地労働者の失業続出し、而も、労働者の団体勢力によつて、僅かに、労働賃銀の低落を防止し、為めに、従来の企業利潤を脅かさんとする傾向を顕して居る秋に際して、朝鮮人労働者の労力廉売は、茲に、新らしき社会問題を惹起するものである、と同時に彼等の来住が急激に増加し、等しく就職難に陥り、困窮せる彼等の生活は、朝鮮人自身の社会問題を醸成せしめずには止まないものである。純経済上の立場より観れば、朝鮮人労働者と内地労働者との問題は、其関係に於ては、白人国に於ける有色移民問題と同様である。然しながら、朝鮮は我領土の一部であり、従つて、朝鮮人は吾々と共に日本帝国の臣民である。国内に於ては、居住、営業の自由は保障されて居る、彼等の来住は恰も生活、文化の低い田舎漢が働く可く都会に出て来るのと別に変りはないわけである。之に対して、制限を附する事は慎重な審議を俟たなければならない事である。さりとて一方内地労働者の正当の利益は当然保護してやらなければならない。朝鮮人労働者問題研究の必要なる、今更言を弄するに及ばない。日韓併合以来既に十余年の星霜を経たると雖も、風俗、習俗、言語が異り、彼我の旧き民族的偏見は、一般社会に於て一朝、一夕に融和され難いものがある事を免れない。特に、最近内地に於て水平運動起りて、社会の耳目を惹きつゝある際に、一層融和の困難なる、能力小なる、朝鮮に於ける下層労働者の多数が、急激に来往して、資本主義の惨酷なる犠牲となり、益々、反社会的となるときは、遥かに、険悪なる新らしき問題を生じて、内面的には、常に孤独を感じ、精神的には、自我の開展権能の自由を味ひ得ず、不健全思想醸成の中心部となり、朝鮮独立運動と相拮びて、帝国的調和、融合的発展を破壊する原因となる事は、自然の帰結である。斯く論じ来れば、此問題は実に重大なる国家の問題として忽せにすべからざる意義を有するものである。
一 朝鮮人労働者の内地移住
労働者が経済幼稚にして、生活程度の低き地より、其高き地に、移動するは、自然の勢である。国内に於て、農村労働者が郡市に移動すると同様に、国際間に於ても貧国より富国に移動するは労働者移住の自然の方向とも謂ふ可きである。されば、東洋に於ては、労銀と生活程度の最も高き我国に、朝鮮人、支那人労働者が来住する事は、敢て不可思議な現象ではないのである。然らば、何故に従来此等の労働者の来住が活溌に行はれなかつたかと云ふに、夫れは我国法律の制度が之を阻止したものである。仍ち
明治三十二年七月二十八日勅令第三五二号
(条約若ハ慣行ニ依リ居住ノ自由ヲ有セザル外国人ノ居住及労業等ニ関スル件)
第一条 外国人ハ条約若ハ慣行ニ依リ居住ノ自由ヲ有セザル者卜雖従前ノ居留地及雑居地以外ニ於テ居住移転営業其ノ他ノ行為ヲ為スコトヲ得但シ労働者(ヽヽヽ)ハ(ヽ)特(ヽ)ニ(ヽ)行政(ヽヽ)官庁(ヽヽ)ノ(ヽ)許可(ヽヽ)ヲ(ヽ)受(ヽ)クルニ(ヽヽヽ)非ザレバ(ヽヽヽヽ)従前(ヽヽ)ノ(ヽ)居留地及(ヽヽヽヽ)雑居地(ヽヽヽ)以外(ヽヽ)ニ(ヽ)於(ヽ)テ(ヽ)居住(ヽヽ)シ(ヽ)又(ヽ)ハ(ヽ)其(ヽ)ノ(ヽ)義務(ヽヽ)ヲ(ヽ)行(ヽ)フコトヲ(ヽヽヽヽ)得(ヽ)ズ(ヽ)
此但書に相応する、条約又は慣行上居住の自由を有せざる外国臣民にして、労働者として来住する者は、実際に於て支那人、朝鮮人を外にしては殆んど皆無と謂つてよいのである、而して爾来行政官庁の採つて来た不許可主義方針と、之に加ふるに此法令が経済発逹の程度に於て、我国が、支那と格段なる相違なかりし時より、既に、施行されて居た為めに、従来我国内に於ては外国労働者についての社会問題を惹起する事はなかつたのである。
明治四十三年八月、帝国は韓国を併合し、同時に此規定は朝鮮人には適用されなくなつた。然し、降て大正八年に至りて朝鮮総督府警務総監部令第三号に依り旅行証明書制度を布くやうになつた。仍ち
大正八年四月警令第三号
(朝鮮人ノ旅行取締ニ関スル件)
朝鮮人ノ旅行取締ニ関スル件左ノ通定ム
第一条 当分ノ内朝鮮外ニ旅行シ又ハ朝鮮内ニ渡来スル朝鮮人ハ左ノ各号ニ依ルヘシ
一 朝鮮外ニ旅行セムトスル者ハ居住地所轄警察署警察ノ事務ヲ取扱フ憲兵分隊憲兵分遣所ヲ合ム以下同シ又ハ警察官駐在所憲兵駐在所ヲ含ム以下同シニ旅行ノ目的及旅行地ヲ届出テ旅行証明書ノ下付ヲ受ケ朝鮮最終ノ出発地ノ警察官憲兵ヲ含ム以下同シニ之ヲ提示スヘシ
二 朝鮮内ニ渡来セムトスル者ハ前号ノ証明書又ハ在外帝国公館ノ証明書ヲ朝鮮最初ノ到着地ノ警察官ニ提示スヘシ
三 前二号ノ証明書又ハ外国旅券規則ニ依ル旅券ヲ有セサル者ハ朝鮮最終ノ出発地又ハ朝鮮最初ノ到着地ヲ管轄スル警察署又ハ警察官駐在所ニ自ラ出頭シ旅行ノ目的及旅行地ヲ届出ツヘシ但シ警察官ニ於テ取締上特ニ其ノ必要ナシト認メタル者ハ此ノ限二在ラス
第二条 本令ノ規定ニ違反シタル者ハ拘留又ハ科料ニ処ス
附 則 本令ハ発布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
斯くて、朝鮮人の渡来に対しても、相当制限を附せしが、世界戦争中労力供給者欠乏せし際には、比較的寛大に、朝鮮人の来住を許可して居たのであつた。
然し同じ領土に生活する、同じ国民の間に、交通移転の自由が保障されない程、国家として恥辱なものはなかつた。終に、大正十一年十二月自由渡航の制は布かれた。仍ち
朝鮮総督府令第一五三号
大正八年警務総監部令第三号ハ之ヲ廃止ス
本令ハ発布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
大正十一年十二月十五日
茲に於て、朝鮮人の内地渡来は自由になつた。其れと同時に、朝鮮下層民、換言すれば小作農夫の来往は決河の勢を以て増加した。時正に、朝鮮に於ける新施政として、所謂文化政治が漸く朝鮮全土に普及し、朝鮮人同化政策の標語たる一視同仁の宣伝が、一層、朝鮮人来往者を力づけ、内地移住の要求を強めた事は事実である。
茲に、旅行証明書制度を廃止せし十二月十五日を境界として、其前後一ヶ月間の渡来者を鉄道省関釜連絡船の便乗者に就き比較せしに、僅か一ヶ月間に於て、然も僻地には未だ自由渡航制度の一般に知れ渡らざる以前に於て、既に、六千五百二十四人の増加を示して居る。
又、別に、来住の状態を月別に比較調査せしに、七ヶ月間に二万八千二百六人、平均一ヶ月に、四千余人の増加となつて居る。
(旅行証明書廃止前後に於ける朝鮮人渡来者表)
|
自大正11年11月15日 至同年12月14日 1ヶ月間 |
自大正11年12月15日 至大正12年1月14日 1ヶ月間 |
差引増減 |
|||||
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
|||
学生、生徒 |
74 |
3 |
77 |
285 |
25 |
310 |
233 |
|
官公吏 |
39 |
- |
39 |
14 |
- |
14 |
△25 |
|
銀行会社員 |
2 |
- |
2 |
21 |
1 |
22 |
20 |
|
学校教師 |
4 |
- |
4 |
13 |
- |
13 |
9 |
|
新聞雑誌記者 |
- |
- |
- |
1 |
- |
1 |
1 |
|
医師弁護士 |
- |
- |
- |
4 |
- |
4 |
4 |
|
商業 |
71 |
2 |
73 |
74 |
4 |
78 |
5 |
|
工業 |
- |
- |
- |
2 |
- |
2 |
2 |
|
農業 |
28 |
- |
28 |
138 |
9 |
147 |
119 |
|
各種職工 |
143 |
31 |
174 |
175 |
30 |
205 |
31 |
|
雑役労働 |
4,181 |
287 |
4,568 |
10,204 |
463 |
10,667 |
6,099 |
|
船員 |
- |
- |
- |
7 |
- |
7 |
7 |
|
無職 |
25 |
24 |
49 |
44 |
35 |
79 |
30 |
|
其の他 |
79 |
22 |
101 |
61 |
29 |
90 |
△11 |
|
計 |
4.746 |
369 |
5,115 |
11,043 |
596 |
11,639 |
6,524 |
備考 △印は減を示す
(旅行証明書制度施行期間中と之が廃止後との朝鮮人来往月別比較表)
|
大正11年 |
大正12年 |
差引増減 |
|||||
渡来者 |
帰還者 |
小計 |
渡来者 |
帰還者 |
小計 |
|||
1月 |
3,102 |
3,986 |
7,088 |
9,873 |
5,830 |
15,703 |
8,615 |
|
2月 |
5,901 |
1,853 |
7,754 |
6,635 |
6,365 |
13,000 |
5,246 |
|
3月 |
9,140 |
4,997 |
14,137 |
25,249 |
4,533 |
29,782 |
15,645 |
|
4月 |
9,367 |
5,178 |
14,545 |
10,381 |
5,297 |
15,678 |
1,133 |
|
5月 |
10,632 |
7,771 |
18,403 |
9,368 |
5,687 |
15,055 |
△3,348 |
|
6月 |
10,218 |
5,620 |
16,748 |
8,126 |
5,796 |
13,922 |
△2,826 |
|
7月 |
7,790 |
5,964 |
13,754 |
10,422 |
7,073 |
17,495 |
3,741 |
|
計 |
56,060 |
36,369 |
92,429 |
80,054 |
40,581 |
120,635 |
28,206 |
備考 △印は減を示す
茲に注意すべきは、朝鮮人の来往が、季節に因りて、非常なる異動のあることである。これは、朝鮮人は、支那人と等しく、正月(但し太陰暦)と、祖先の祭礼には、如何なる遠隔の地にあるも、故郷に帰らざる可からずとの、慣習に拠るものにして、殊に、内地に来住なし居る質朴なる田舎農民の間に於ては、此観念強く、事情の許す限りを尽して帰郷するものである。故に此時期に於ては帰還者多く、之を経過せば再び大挙して渡来するのである。
近時小作農夫の内地に来住するもの愈々多く、為めに、南鮮の或る地方にては、農事労働者払底し、小作料も小作人に有利となり、農繁期に於ては、内地来住の朝鮮人にして帰農するもの多きに及び、恰も我国北陸地方の農夫が、農繁期以外は出稼すると同じやうな傾向を呈して居る処もある。
左に大正十一年一月以降の来往異動を示せば、即ち
(朝鮮人来往月別統計表)
|
渡来者 |
帰還者 |
渡来者1に対する帰還者の比 |
|||||
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
|||
11年1月 |
2,635 |
467 |
3,102 |
3,285 |
701 |
3,986 |
1.028 |
|
2月 |
4,699 |
1,202 |
5,901 |
1,282 |
571 |
1,853 |
.314 |
|
3月 |
7,791 |
1,349 |
9,140 |
4,047 |
950 |
4,997 |
.547 |
|
4月 |
7,584 |
1,783 |
9,367 |
4,303 |
875 |
5,178 |
.542 |
|
5月 |
8,450 |
2,182 |
10,632 |
7,027 |
744 |
7,771 |
.731 |
|
6月 |
8,477 |
1,651 |
10,128 |
5,922 |
698 |
6,620 |
.654 |
|
7月 |
6,710 |
1,080 |
7,790 |
5,482 |
482 |
5,964 |
.766 |
|
8月 |
7,897 |
1,101 |
8,998 |
4,628 |
353 |
4,981 |
.554 |
|
9月 |
7,989 |
993 |
8,982 |
3,541 |
540 |
4,081 |
.454 |
|
10月 |
4,192 |
392 |
4,584 |
3,538 |
355 |
3,893 |
.849 |
|
11月 |
3,270 |
394 |
3,664 |
3,872 |
410 |
4,282 |
1.169 |
|
12月 |
8,969 |
481 |
9,450 |
4,369 |
397 |
4,766 |
.504 |
|
12年1月 |
9,328 |
545 |
9,873 |
5,417 |
413 |
5,830 |
.590 |
|
2月 |
6,190 |
445 |
6,635 |
5,895 |
470 |
6,365 |
.959 |
|
3月 |
23,776 |
1,473 |
25,249 |
4,104 |
429 |
4,533 |
.180 |
|
4月 |
9,348 |
1,033 |
10,381 |
4,853 |
444 |
5,297 |
.510 |
|
5月 |
8,539 |
1.009 |
9,368 |
5,173 |
514 |
5,687 |
.607 |
|
6月 |
7,217 |
909 |
8,126 |
5,313 |
484 |
5,797 |
.713 |
|
7月 |
9,597 |
825 |
10,422 |
6,484 |
589 |
7,073 |
.679 |
|
計 |
152,478 |
19,314 |
171,792 |
88,535 |
10,419 |
98,954 |
.576 |
本表に現れしが如く、太陰暦の正月以前即ち一月には帰還者多く、正月後の三月、四月に於ては、渡来者が著しく増加する。次で、農繁期たる七月、八月に帰還者多く、年末に際して再び渡来するが如き状况を示して居る。
かくして、渡来する朝鮮人は内地何れの方面に分布され居るか、これを関門に於て各渡来者が所持せる鉄道乗車券の行先により、府県別に区分すれば、次表の如くである。
(渡来鮮人府県別分布表)
|
大正12年5月 |
大正12年6月 |
大正12年7月 |
計 |
|||||||||
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
|||||
東京 |
794 |
59 |
853 |
430 |
29 |
459 |
535 |
27 |
562 |
1,874 |
|||
京都 |
333 |
61 |
394 |
353 |
49 |
402 |
458 |
32 |
490 |
1,286 |
|||
大阪 |
1,278 |
152 |
1,430 |
1,285 |
159 |
1,444 |
1,641 |
167 |
1.808 |
4,682 |
|||
神奈川 |
95 |
16 |
111 |
55 |
3 |
58 |
82 |
3 |
85 |
254 |
|||
愛知 |
350 |
127 |
477 |
367 |
97 |
464 |
491 |
103 |
594 |
1,535 |
|||
兵庫 |
461 |
88 |
549 |
395 |
130 |
525 |
617 |
64 |
681 |
1,755 |
|||
福岡 |
1,288 |
159 |
1,447 |
1,261 |
147 |
1,408 |
1,632 |
142 |
1,774 |
4,629 |
|||
広島 |
359 |
50 |
409 |
331 |
33 |
364 |
426 |
28 |
454 |
1,227 |
|||
山口 |
2,113 |
91 |
2,204 |
1,622 |
155 |
1,777 |
2,254 |
165 |
2,419 |
6,400 |
|||
岡山 |
93 |
5 |
98 |
92 |
20 |
112 |
123 |
5 |
128 |
338 |
|||
長崎 |
86 |
6 |
94 |
89 |
7 |
96 |
80 |
4 |
84 |
274 |
|||
熊本 |
41 |
1 |
42 |
70 |
7 |
77 |
70 |
4 |
74 |
193 |
|||
静岡 |
55 |
10 |
65 |
50 |
6 |
56 |
72 |
9 |
81 |
202 |
|||
大分 |
145 |
18 |
163 |
118 |
14 |
132 |
203 |
17 |
220 |
515 |
|||
滋賀 |
16 |
25 |
41 |
1 |
- |
1 |
25 |
2 |
27 |
69 |
|||
鹿児島 |
16 |
9 |
25 |
21 |
1 |
22 |
13 |
- |
13 |
60 |
|||
佐賀 |
11 |
4 |
15 |
75 |
10 |
85 |
27 |
1 |
28 |
128 |
|||
徳島 |
35 |
18 |
53 |
2 |
- |
2 |
- |
- |
- |
55 |
|||
香川 |
12 |
4 |
16 |
3 |
- |
3 |
15 |
- |
15 |
34 |
|||
三重 |
24 |
1 |
25 |
28 |
1 |
29 |
10 |
3 |
13 |
67 |
|||
福井 |
9 |
1 |
10 |
15 |
- |
15 |
21 |
- |
21 |
46 |
|||
山梨 |
83 |
1 |
84 |
15 |
1 |
16 |
25 |
1 |
26 |
126 |
|||
岐阜 |
140 |
6 |
146 |
155 |
11 |
166 |
229 |
26 |
255 |
567 |
|||
和歌山 |
13 |
5 |
18 |
10 |
- |
10 |
34 |
3 |
37 |
65 |
|||
奈良 |
21 |
6 |
27 |
1 |
- |
1 |
22 |
4 |
26 |
54 |
|||
新潟 |
84 |
14 |
98 |
32 |
1 |
33 |
61 |
4 |
65 |
196 |
|||
長野 |
294 |
24 |
318 |
157 |
15 |
172 |
265 |
5 |
270 |
760 |
|||
茨城 |
8 |
- |
8 |
1 |
- |
1 |
- |
- |
-0 |
9 |
|||
栃木 |
9 |
3 |
12 |
52 |
- |
52 |
20 |
1 |
21 |
85 |
|||
群馬 |
22 |
5 |
27 |
5 |
- |
5 |
4 |
- |
4 |
36 |
|||
富山 |
12 |
1 |
13 |
19 |
- |
19 |
36 |
- |
36 |
68 |
|||
鳥取 |
21 |
7 |
28 |
7 |
1 |
8 |
9 |
- |
9 |
45 |
|||
島根 |
32 |
12 |
44 |
28 |
2 |
30 |
61 |
2 |
63 |
137 |
|||
愛媛 |
- |
- |
- |
8 |
1 |
9 |
6 |
- |
6 |
15 |
|||
千葉 |
- |
- |
- |
4 |
- |
4 |
- |
- |
- |
4 |
|||
宮崎 |
- |
- |
- |
25 |
- |
25 |
3 |
- |
3 |
28 |
|||
福島 |
- |
- |
- |
5 |
2 |
7 |
4 |
- |
4 |
11 |
|||
青森 |
- |
- |
- |
1 |
- |
1 |
5 |
- |
5 |
6 |
|||
秋田 |
- |
- |
- |
1 |
- |
1 |
- |
- |
- |
1 |
|||
埼玉 |
- |
- |
- |
9 |
- |
9 |
1 |
- |
1 |
10 |
|||
山形 |
- |
- |
- |
8 |
3 |
11 |
2 |
- |
2 |
13 |
|||
石川 |
- |
- |
- |
3 |
- |
3 |
12 |
- |
12 |
15 |
|||
北海道 |
3 |
1 |
4 |
5 |
- |
5 |
1 |
1 |
2 |
11 |
|||
樺太 |
3 |
17 |
20 |
3 |
4 |
7 |
2 |
2 |
4 |
31 |
|||
計 |
8,359 |
1,009 |
9,368 |
7,217 |
909 |
8,126 |
9,597 |
825 |
10,422 |
27,916 |
表中山口県への渡来者、最多数を占むれども、こは下関までの乗車券を所持する渡来者の多きが為にして、重に、初めての渡航者か、然らずんば、乗車券の紛失を恐れて中継的に乗車券を購入する者の多きが為である。前者は、何等内地の事情を知る事なく、唯、漠然として渡来するものであつて、彼らが下関を行先地とするのは、唯、単に、下関が朝鮮より内地へ到るその交通の道程に於て最近距離にあるてふ事より外に理由はないのである。然し、彼等は旅費の残額を持つて居る、而して、下関にて此地の旧来住朝鮮人労働者の自己の利益の為になす排斥的勧告と、同行の多数朝鮮人の向ふ都市憧憬とに誘はれて、直ちに、分散して、殆んど、一日もとゞまる事がない、かくして、彼等の大部分は大阪、福岡の方面へ漠然として旅立つのである。現在下関市には約千人、山口県下を通じて約五千人の朝鮮人が居住して居るに過ぎない、同時に、大阪、福岡方面に渡来する朝鮮人は、実際に於て、表の数よりも多いのである。
然らば、従来内地に来住せし朝鮮人は何程なりや、と云ふに、大正六年以前は、材料を蒐集なし得ざりしを以て、的確なる数字を掲上し難きも、各方面の情報を総合すれば、日韓併合以来大正五年末迄には、渡来者、帰還者を差引して残留者と看做さる可きもの優に三万人に達するも、統計面に掲記するには余りに根拠薄弱なるを以て、一先づ之を保留して大正六年以後関門入港船舶の便乗者(従来朝鮮より内地へ航海する船舶は必ず第一に関門に碇泊せしものなり)についての朝鮮人来住統計(山口県外事警察係調査)により、内地来住者の数を測定せば、即ち次表の如き結果となるのである。
別に大正十二年二月より、朝鮮済州島と大阪とを直航する朝鮮人専用汽船の航路開けてより、之を利用して来住せし朝鮮人の数を測定し、以て双方の計を通算せしに、実に十二万余人の残留者を算出する事が出来たのである。尤も、こゝに残留者と仮定せしものは渡来者より帰還者を差引したるものにして人口動態に於ける出生、死亡の関係を度外視したるところに確実性を欠ぐ嫌ひはあれども、実際、来住朝鮮人について出生、死亡は之を知る材料に乏しく、また大体に於て概数を知るには出生、死亡の変化をなきものと看做して大差ないと考へたからである。
|
渡来者 |
帰還者 |
差引残留者 |
||||||||
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
|||
大正6年 |
11,216 |
2,796 |
14,012 |
3,428 |
499 |
3,927 |
7,788 |
2,297 |
10,085 |
||
7年 |
11,513 |
177 |
11,690 |
1,789 |
62 |
1,851 |
9,724 |
115 |
9,829 |
||
8年 |
19,110 |
1,858 |
20,968 |
11,688 |
1,051 |
12,739 |
7,422 |
807 |
8,229 |
||
9年 |
24,625 |
2,872 |
27,497 |
18,606 |
2,341 |
20,947 |
6,019 |
531 |
6,550 |
||
10年 |
32,301 |
5,817 |
38,118 |
22,853 |
2,682 |
25,536 |
9,448 |
3,134 |
12,582 |
||
11年 |
78,863 |
13,075 |
91,738 |
51,296 |
7,076 |
58,372 |
27,267 |
5,999 |
32,366 |
||
大正12年1月 |
9,328 |
545 |
9,873 |
5,417 |
413 |
5,830 |
3,911 |
132 |
4,042 |
||
2月 |
6,190 |
445 |
6,635 |
5,895 |
470 |
6,365 |
295 |
△25 |
270 |
||
3月 |
23,776 |
1,473 |
25,249 |
4,104 |
429 |
4,533 |
19,672 |
1,044 |
20,716 |
||
4月 |
9,348 |
1,033 |
10,381 |
4,853 |
444 |
5,297 |
4,495 |
589 |
5,084 |
||
5月 |
8,359 |
1,009 |
9,368 |
5,173 |
514 |
5,687 |
3,186 |
495 |
3,681 |
||
6月 |
7,217 |
909 |
8,126 |
5,313 |
482 |
5,796 |
1,904 |
426 |
2,330 |
||
7月 |
9,597 |
825 |
10,422 |
6,484 |
589 |
7,073 |
3,113 |
236 |
3,349 |
||
計 |
251,243 |
32,834 |
284,077 |
146,899 |
17,054 |
162,953 |
104,344 |
15,780 |
120,124 |
(内鮮間鮮人専用汽船発着状况)
月別 |
経営者名 |
回数 |
大阪着人員 |
回数 |
大阪発人員 |
差引残留者 |
||
2月 |
済友社 |
2 |
112 |
2 |
160 |
△48 |
||
同 |
金秉敦 |
1 |
- |
1 |
182 |
△182 |
||
3月 |
済友社 |
1 |
1,202 |
3 |
102 |
1,100 |
||
同 |
尼ヶ崎汽船 |
3 |
1,054 |
2 |
17 |
1,027 |
||
4月 |
済友社 |
4 |
406 |
3 |
- |
406 |
||
同 |
尼ヶ崎汽船 |
1 |
195 |
2 |
321 |
△126 |
||
5月 |
済友社 |
2 |
243 |
1 |
59 |
184 |
||
同 |
尼ヶ崎汽船 |
2 |
410 |
2 |
300 |
110 |
||
6月 |
済友社 |
2 |
197 |
2 |
121 |
76 |
||
同 |
尼ヶ崎汽船 |
2 |
161 |
2 |
388 |
△227 |
||
計 |
|
20 |
3,980 |
20 |
1,650 |
2,330 |
一方、内地各府県の朝鮮人戸数人員調査に依り、総人口を掲上すれば、九万一千七百八十二人(本統計表作成の時までに神奈川県、埼玉県、群馬県の朝鮮人戸口調査表――此合計人員約二千人――到着せざりしを以て之を除けり)となり、前統計の大正六年以降のものと比較して尚三万人許りの減少となつて居る。
この差の生ずる所以は、朝鮮人日傭労働者が、定住性を欠ぐを以て、調査上遺漏多く、正確を期するに甚だ困難なることゝ、各府県の調査の月が一定せざりしことが、主因せしものにして内地来住朝鮮人は実際に於て十三万(・・・)人を降らざる情勢である。
北海道及樺太来住の朝鮮人の中には内地を経由せしものと西伯利を経由せしものとの両方面よりの来住者があつて西伯利経由のものは勿論前統計表の渡来者中には著はれて居ないものである。(六九頁参照)
|
一戸を構へて居住せる者 |
一戸を構へざるも90日以上同一町村に居住せる者 |
其他の者 |
計 |
調査月日 |
|||||||||||||
戸数 |
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
||||||
福岡県 |
1,403 |
1,812 |
1,038 |
2,850 |
4,610 |
121 |
4,731 |
4,609 |
86 |
4,695 |
11,031 |
1,245 |
12,276 |
6月末日 |
||||
長崎県 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
1,664 |
86 |
1,750 |
7月末日 |
||||
熊本県 |
39 |
130 |
22 |
152 |
377 |
12 |
389 |
- |
99 |
99 |
606 |
34 |
640 |
6月末日 |
||||
佐賀県 |
48 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
652 |
- |
||||
大分県 |
136 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
1,354 |
- |
||||
宮崎県 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
395 |
3 |
398 |
6月末日 |
||||
鹿児島県 |
77 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
210 |
- |
||||
沖縄県 |
2 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
8 |
- |
||||
徳島県 |
107 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
210 |
- |
||||
高知県 |
161 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
186 |
9月10日 |
||||
愛媛県 |
83 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
581 |
6月末日 |
||||
香川県 |
12 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
264 |
- |
||||
山口県 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
4,407 |
465 |
4,872 |
6月末日 |
||||
広島県 |
280 |
1,137 |
228 |
1,365 |
1,164 |
136 |
1,300 |
524 |
30 |
554 |
2,825 |
394 |
3,219 |
9月末日 |
||||
岡山県 |
97 |
245 |
80 |
325 |
307 |
18 |
325 |
172 |
8 |
180 |
724 |
106 |
830 |
7月末日 |
||||
兵庫県 |
407 |
801 |
466 |
1,267 |
2,023 |
758 |
2,781 |
1,289 |
165 |
1,454 |
4,113 |
1,389 |
5,502 |
6月末日 |
||||
島根県 |
59 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
705 |
31 |
736 |
8月末日 |
||||
鳥取県 |
5 |
5 |
2 |
7 |
52 |
- |
52 |
104 |
8 |
112 |
161 |
10 |
171 |
- |
||||
大阪府 |
1,160 |
1,969 |
978 |
2,947 |
9,202 |
1,458 |
10,660 |
7,112 |
1,265 |
8,377 |
18,283 |
3,701 |
21,984 |
9月末日 |
||||
京都府 |
214 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
3,694 |
421 |
4,115 |
9月末日 |
||||
奈良県 |
57 |
155 |
114 |
269 |
104 |
191 |
295 |
346 |
41 |
387 |
605 |
346 |
951 |
8月末日 |
||||
和歌山県 |
70 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
609 |
486 |
1,095 |
- |
||||
滋賀県 |
59 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
720 |
- |
||||
三重県 |
58 |
78 |
14 |
92 |
211 |
27 |
238 |
410 |
18 |
428 |
699 |
59 |
758 |
6月末日 |
||||
岐阜県 |
155 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
3,343 |
152 |
3,495 |
6月末日 |
||||
静岡県 |
92 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
1,249 |
177 |
1,426 |
9月末日 |
||||
愛知県 |
162 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
2,139 |
743 |
2,882 |
8月末日 |
||||
長野県 |
130 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
3,847 |
138 |
3,985 |
8月末日 |
||||
山梨県 |
35 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
392 |
22 |
414 |
- |
||||
福井県 |
16 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
416 |
3月末日 |
||||
石川県 |
10 |
68 |
7 |
75 |
49 |
5 |
54 |
170 |
5 |
175 |
287 |
17 |
304 |
6月末日 |
||||
富山県 |
1 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
1,001 |
9月20日 |
||||
新潟県 |
104 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
2,750 |
134 |
2,884 |
- |
||||
東京府 |
345 |
925 |
180 |
1,105 |
2,296 |
102 |
2,398 |
1,925 |
71 |
1,996 |
5,146 |
353 |
5,499 |
8月末日 |
||||
埼玉県 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
||||
神奈川県 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
||||
群馬県 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
||||
栃木県 |
2 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
81 |
15 |
96 |
10月25日 |
||||
茨城県 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
218 |
10月20日 |
||||
千葉県 |
16 |
58 |
7 |
65 |
10 |
- |
10 |
8 |
1 |
9 |
76 |
8 |
84 |
9月末日 |
||||
秋田県 |
6 |
6 |
- |
6 |
46 |
- |
46 |
- |
- |
- |
52 |
- |
52 |
8月末日 |
||||
山形県 |
13 |
43 |
14 |
57 |
85 |
1 |
86 |
2 |
- |
2 |
130 |
15 |
145 |
9月末日 |
||||
青森県 |
5 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
72 |
2 |
74 |
9月末日 |
||||
宮城県 |
2 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
158 |
ー |
||||
岩手県 |
16 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
189 |
- |
||||
福島県 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
336 |
88 |
424 |
9月1日 |
||||
北海道 |
300 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
3,090 |
196 |
3,286 |
11月5日 |
||||
樺太 |
140 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
1,094 |
174 |
1,268 |
11月末日 |
||||
計 |
6,093 |
7,432 |
3,150 |
10,582 |
20,536 |
2,829 |
23,365 |
16,671 |
1,797 |
18,468 |
74,605 |
11,010 |
91,782 |
|
||||
備考 調査年は大正十二年
調査月の記入なきは調査月日の報告なかりしもの
二 朝鮮人労働者と労働市場
経済上の方面より朝鮮人労働者が問題視さるゝは、実に、労働市場における影響なりとす。朝鮮人労働者が、内地労働市場に於て、如何なる地位を占めて居るか、換言すれば、内地労働者が来住鮮人の為めに、如何なる競争を蒙りつゝありやを研究する事に依りて、朝鮮人労働者来住問題の調査を必要とする重大なる意義を発見する事が出来るのである。
元来、内地へ来住する朝鮮人労働者は殆んど農夫であつて、何等機械工業労働の訓練も知識もないのである。従つて、彼等の唯一の資産はたゞ筋肉力を以て、直接にする、活動のみであつて、到底複雑なる生産工業の労働者として直ちに役に立ち難い事は勿論である。されば、朝鮮人労働者の内地労働市場に於ける、労働需給の方向は、重に、人夫、手伝、土方の種類であつて、職工、職工見習、徒弟等は比較的少数である。
次表に示さるゝが如く、来住朝鮮人八万八千二百七十二人中、七万七千九百八十人は、筋肉労働者にして、其中、六万一千五百二十八人は、土方、人夫である。職工の主なるものは、紡績、機械、(重に女工一一五頁参照)硝子工にして大阪、兵庫、京都、愛知、和歌山等の府県に職工の多きはこの例である。
学生 |
精神労働者 |
筋肉労働者 |
其他の営業者及無職者 |
計 |
調査月日 |
||
人夫 |
職工 |
||||||
福岡県 |
31 |
14 |
9,872 |
620 |
1,739 |
12,276 |
6月末日 |
長崎県 |
35 |
3 |
1,593 |
24 |
95 |
1,750 |
7月末日 |
佐賀県 |
- |
- |
523 |
94 |
35 |
652 |
- |
大分県 |
- |
1 |
1,274 |
42 |
37 |
1,354 |
- |
熊本県 |
3 |
- |
529 |
76 |
32 |
640 |
6月末日 |
宮崎県 |
- |
- |
373 |
15 |
10 |
398 |
6月末日 |
鹿児島県 |
4 |
- |
144 |
12 |
50 |
210 |
- |
沖縄県 |
- |
- |
6 |
1 |
1 |
8 |
- |
徳島県 |
- |
- |
199 |
6 |
5 |
210 |
- |
高知県 |
- |
- |
177 |
2 |
7 |
186 |
9月10日 |
愛媛県 |
13 |
3 |
422 |
116 |
27 |
581 |
6月末日 |
香川県 |
- |
- |
204 |
36 |
24 |
264 |
- |
山口県 |
45 |
50 |
4,124 |
106 |
546 |
4,871 |
6月末日 |
広島県 |
35 |
6 |
2,491 |
357 |
330 |
3,219 |
9月末日 |
岡山県 |
9 |
- |
567 |
207 |
57 |
840 |
7月末日 |
兵庫県 |
38 |
13 |
2,754 |
1,947 |
749 |
5,501 |
6月末日 |
島根県 |
- |
- |
676 |
4 |
56 |
736 |
8月末日 |
鳥取県 |
- |
- |
162 |
1 |
8 |
171 |
- |
大阪府 |
43 |
16 |
10,471 |
7,568 |
3,886 |
21,984 |
9月末日 |
京都府 |
105 |
4 |
2,267 |
1,620 |
119 |
4,115 |
9月末日 |
奈良県 |
7 |
4 |
490 |
355 |
95 |
951 |
8月末日 |
和歌山県 |
- |
2 |
483 |
597 |
13 |
1.095 |
- |
滋賀県 |
- |
- |
449 |
271 |
- |
720 |
- |
三重県 |
- |
- |
657 |
92 |
5 |
754 |
6月末日 |
岐阜県 |
- |
- |
3,420 |
1 |
74 |
3,495 |
6月末日 |
静岡県 |
1 |
- |
1,179 |
177 |
69 |
1,426 |
9月末日 |
愛知県 |
4 |
14 |
1,335 |
1,375 |
154 |
2,882 |
8月末日 |
長野県 |
- |
- |
3,817 |
64 |
104 |
3,985 |
8月末日 |
山梨県 |
- |
- |
208 |
3 |
3 |
214 |
- |
福井県 |
2 |
- |
378 |
21 |
15 |
416 |
3月末日 |
石川県 |
2 |
- |
282 |
16 |
4 |
304 |
6月末日 |
富山県 |
- |
- |
965 |
25 |
11 |
1,001 |
9月20日 |
新潟県 |
1 |
1 |
2,689 |
45 |
1 |
2,737 |
- |
東京府 |
689 |
139 |
2,813 |
335 |
263 |
3,609 |
9月末日 |
栃木県 |
- |
1 |
68 |
22 |
- |
91 |
10月25日 |
茨城県 |
- |
- |
212 |
- |
- |
212 |
10月20日 |
千葉県 |
1 |
- |
7 |
76 |
- |
84 |
9月末日 |
秋田県 |
- |
- |
52 |
- |
- |
52 |
8月末日 |
山形県 |
17 |
- |
112 |
1 |
5 |
135 |
9月末日 |
青森県 |
- |
- |
72 |
- |
2 |
74 |
9月末日 |
岩手県 |
- |
2 |
183 |
1 |
3 |
189 |
- |
宮城県 |
- |
12 |
146 |
- |
- |
158 |
- |
福島県 |
3 |
- |
323 |
88 |
12 |
426 |
9月1日 |
北海道 |
13 |
6 |
2,990 |
33 |
244 |
3,286 |
11月5日 |
計 |
1,101 |
291 |
61,528 |
16,452 |
8,890 |
88,262 |
- |
備考 調査年は大正十二年
調査月の記入なきは調査月日の報告なかりしもの
如何なる理由に拠り、朝鮮人労働者が、機械工業の職工として成長せざるや。調査者が、其方面の実際を調査せし感想を述べんに――
一 大工場と朝鮮人労働者
茲に、改めて述ぶる迄もなく、現今の生産方法は殆んど分業である。而して、個々の生産品の組合せにより、或は各々独立の持場にある労働者の部分的加工の連続によりて、一つの完成品を産出する、所謂、労働分担(技術的分業)が普く大企業を支配して居る。この労力合同の生産経路に於て、何れの部分生産に於ても、不熟練労働の交らんか、生産品全体の価値を直ちに破壊する結果となるものなれば、分業の技術的方面に於ては、労銀の低廉なる不熟練労働者よりも、仮令労銀は高くとも、熟練労働者を求むる事切にして、殊に、手近の利益を挙ぐる事のみに汲々たる、経済主義的資本企業家が、不熟練なる、能率低き、朝鮮人労働者を雇傭して、実地養成し、以て、他日の熟練職工を生み出さんとするには、余りにも、朝鮮人労働者の素質悪しく、労力供給の払底なる時期なれば兎に角、熟練労働者さへ、失業に悩む、現在の労働需給状態の下にありては、到底朝鮮人労働者を容るゝ余地がないのである。加ふるに、身体を労する事より逃れんと努め、利の為めに流転常ならざる朝鮮人労働者の通弊は、掲示文をさへ解し能はざる不自由さ加減と結び付けられて、大工場の等しく歓迎しないところとなり、大工場の直接使用人として、朝鮮人職工は至極稀れに看るに過ぎざる有様である。
二 紡績会社と朝鮮人労働者
紡績工として朝鮮人労働者は、其技能を相当著はして居る。殊に女工は、内地人女工と伯仲にありてふ定評を与へられて居る位である。然らば、朝鮮人労働者が何故に此方面に発展せざるや、一通り研究して見る必要がある。元来繊維工業企業者は、其労働者(主として女工)を得るに可成苦心するものであつて、或る時代に於ては、女工の争奪さへ盛んに行はれし事は、世人の記憶に存するところである。而して、此種の何れの会社も、年々、歳々、莫大なる費用を投じ、真摯なる態度を以て、所謂募集地なるものを経営して、専ら女工の募集に努めしものなりしが、近来男工も、これを都会に於て求むる時は、労働組合などの支配の下に、企業者を脅す事多きを以て、これも田舎より募り来るやうになつたのである。現時、農村疲弊して、各募集地より供給さるゝ労力甚だ多く、加ふるに、繊維工業の不振は、労力の需要を少からしめ居る有様なれば、仮令朝鮮人労働者を使役するは、相当有利なる事、明らかなるも、一方、募集地より供給さるゝ労力を斥けて、朝鮮人労働者を使傭する時は、折角の募集地も、直ちに、競争者に奪はれて、事業拡張等に際し、不時に労力の欠乏を感じたる時に於ても、如何ともなし能はざる窮境に面するを免れ得ざる結果となるものなれば、勢ひ朝鮮人労働者は、此方面にも疎ぜらるゝ立場に置かれるのである。一面、朝鮮人労働者が定住性を欠き、一人が帰郷するときは、其団体全部も附和雷同的に行動を共にするが如き(特に女工に多し)、企業者の最大不安とするところにして、進んで、朝鮮人労働者を使役なし得ざる一原因である。
三 小工業者と朝鮮人労働者
茲に於て、朝鮮人労働者の需要方面は、其範囲非常に縮小せられ、唯、単に、労銀の低廉なるてふ事のみを最大要件とする小企業家に依つて、好况時代、労力不足の時期に著しく需要されしが、現在に於ては唯、昔日の残骸を止むるに過ぎざる状態である。夫れも、同一工場に於て、朝鮮人労働者が内地人労働者と、数に於て殆んど同等になる時は、朝鮮人労働者は団結力を以て、屡々内地人労働者と対抗して、物議を醸すこと多きを以て、小工業者と雖も、朝鮮人労働者雇傭の数を制限せんとする傾向がある。唯、硝子工場に於ては朝鮮人労働者が其仕事の性質上、相当適合なし居る為めか、今後も発展の余地ありと看られて居る。(調査報告書硝子製造従業員の労働と其生活参照)
四 朝鮮人労働者と農業
渡来朝鮮人は、元来、農夫なるを以て、これを農業労働者に使役せば相当成績を挙ぐるならんと、曽て、或る地方に於て地主が、小作争議の結果返上されたる小作地に、朝鮮人労働者四十人許りを使役した。然るに、彼等は苗の植付日の前日に到り、前小作人に僅少なる金銭にて買収され、苗の植付をなさすに逃走せし事実があつた。勿論、其裏面に於て、朝鮮人労働者が内地の事情を解せず、加ふるに、当該争議に於ける、小作人側の迫害に逢ひ、止むを得ず自己の職業を放棄せしものならんも、一面地主側よりは簡単に、朝鮮人労働者頼むに足らず、と称せらるゝものも亦如何ともなし得る事が出来ないのである。それは、地主が、小作争議に対する自己の主張を貫徹させんが為め、何等内地の事情に通ぜざる朝鮮人労働者を利用せし謬見に基くものなれど、一般に、農業労働者としての朝鮮人労働者は、其動作甚しく緩慢にして、到底、内地人の農業労働者と比較すべくもあらず、内地人農夫が早朝より日没まで昼飯時と午前午後各々一回、の休憩時を外にしては、野良仕事に孜々たるに反し、来住朝鮮人農夫が、一仕事毎に骨休みをなし、肥料を施すにも人糞を手掴みにて遅々たるが如き、殊に、農繁期、苗の植付に際して、内地人農婦が、一人一日優に一反歩の植付をなすに反し、朝鮮人農夫が、その半分も成し得ざる等、実際に於て、朝鮮人農夫の価値低きを証するのである。加ふるに、朝鮮人農夫が、内地農夫の活動を体験して、到底、自己の力の及ぶところに非ずとなし、其仕事より自ら離るゝが如き、或は又、耕作地を利用して間断なく種々の作物の収穫を得せしめんと督励なせど、疲労なしたる彼等は、寧ろ、安逸を希ふに切なるが如き、農業労働者としての朝鮮人労働者も、結局期待を裏切りしものと、謂ふべきものである。
五 朝鮮人労働者の落ち行く先
上述の如く、朝鮮人労働者は一般に工業、農業より甚だしく疎んぜられ、勢ひ彼等は土木事業労働者へと駆逐されて行くのである。否、駆逐さるゝと謂ふよりも、単調なる労働を自ら求めて行くのである、而も、土木業者間に於ても、一流のところでは、朝鮮人労働者は余りに無責任にして彼等を使役せん乎、如何なる重要個所の工事についても、監督者の眼を盗みて手間をはぶき、延いては、累を後日に及ぼすものとなし、却て、朝鮮人労働者を避くるが如く、彼等は茲に於ても、労銀の安きを最大要件となすが如き、余り質の良からざる土木業者の間に、使役せらるゝのである。然れども、土木事業方面の人夫募集の困難と、之に伴ふ費用の多大とは、漸次朝鮮人労働者を重宝とするが如くなり、彼等は、確に、此方面に活路を見出したわけである。
右は朝鮮人労働者が土方人夫の方面に多く職を有する理由の概説である。然らば、労働市場に於て彼等は如何なる地位を占むるや、彼等の来住に拠りて従来の内地労働者は労働市場より駆逐されたるや。大体より看れば、朝鮮人労働者の来住により、内地労働市場に与へたる影響は、其結果より論ずるときに、殆んど皆無と謂つてよい位である。彼等は当初機械職工として、小工業者の間に、好况時代労力不足の当時は需要が多かつた。然し、決して、内地労働者の地位を奪つたものではない、唯、単に、労力の不足を補つたに過ぎないのである。而も、不况時代に入りては一様に解雇され、此時代に於ては、内地失業労働者の為め寧ろ職を奪れた観がある。一方、朝鮮人労働者が最も多数を占むる、土方、人夫稼業にありても、彼等は内地労働者を駆逐して、置換的に、其地位を占めしものと謂ふのではなく、之も、其欠を補ひたるものと看做すべきである。元来、内地に於ては、土方、人夫稼業は、一般に、卑賎なる稼業として、避忌せられ、土木工事を起すにつきては、従来、少からず土方、人夫の募集難を喞つたものであつた、而も、近来、国家的都市計画事業に刺激され、一般土木建築事業大いに起り、益々土方人夫の労力の欠乏を感ずる秋に、朝鮮人労働者が之に従事し、其事業を経験するに従ひて此職業を専業とせしものにして、低廉なる労銀と、低級なる生活とによりて、内地人土方、人夫を駆逐せしに非ずして、内地人土方、人夫の最下級の者の手下に使役されたるものである。然りと雖も、現在彼等が土方、人夫方面に於て有する勢力は、確に、内地人失業者が、所謂不熟練労働者として土方、人夫の業に入らんとするものを遮るには充分である。東京市に於ける、道路工事用人夫として、朝鮮人労働者を唯一のものとなし居るが如き、又、大阪地方に於ける、築堤、或は改渫工事に朝鮮人労働者の重要さるゝ、其好適例である。故に、現時の状態にありては、内地人と、朝鮮人との職業上に於ける競争としては、一般市場裏にあらはれざるも、内地人失業者愈々増加して、職を求むるに職を択ばざるが如くなり、内地人失業者の多数と、朝鮮人労働者が、土木事業労働者の方面に於て、共に、不熟練労働者として、相争ふが如くなる時は、茲に、一つの問題を惹起せずして止まざるは必然の事であるが、現在、土木事業に於て、内地人は熟練労働者として、朝鮮人は不熟練労働者として、区別し使役さるゝにより、此種労働者の一般労銀を下落せしめ、次で生活標準の低下を意味するが如き窮境からは、僅に、免れて居るのである。
第二章 来住の原因
かくも多くの朝鮮人が、来住するに就いて、その、原因となれるものは何んであるか、を考へて見る時に、其処に、大きな共通した流れがある。それは、何人も否定することの出来ない、強い精神的勢力である。更に、朝鮮人が日韓併合によりて恵まれた、現代文明根本精神の発露である。換言すれば、朝鮮人が内地に対して持つ、一般的憧憬である。従来たゞ選良にのみよつて要求されつゝあつた人格の自由発展、自由活動及自由享楽の要求の一般化である。
日本が朝鮮を統治し、新に之を併合して以来、朝鮮は物質的、精神的に、急速の進歩をなし、従つて、朝鮮上下の所得と生活状態とは、年々著しく向上し、之を朝鮮独立時代に比すれば隔世の感がある。同時に、之に依つて朝鮮人の受けたる刺戟は、実に深刻なものである。彼等は、此刺戟に覚醒し、強まれる向上心は、自ら運命を開拓すべく、積極的に活動するやうになつた。此傾向は、今後益々堅実性を帯びて進む可く、たとへ来住者は、数に於ては減ぜんも、質に於ては愈々真剣三味を発揮することを否定なし得ざる趨勢を持つて居る。
朝鮮人来住の原因につき尚詳細に渉る前に、朝鮮総督府の最近発表になる朝鮮の現状より一部を抜萃し、朝鮮の発達を知る参考に供しやう。
産業の振興(総生産額十四億七千万円)
韓国政府時代に於ける朝鮮の産業は頗る振はず、其の生産額の如き、明治四十三年に於ては三億六百万円、輸移出入額は六十万円に過ぎない状况であつたが、総督府設置以来、鋭意産業振興の方法を講じた結果、大正十一年に於ける、生産額は十四億七十万円(併合当時に比し約五倍)に達し、輸移出入額四億七千万円(同約八倍)に上つた。之を略説すれば、産業の大宗たる農業は総人口の約八割の者が之を営み、耕地面積は併合当時二百四十六万町歩であつたが大正十年には四百三十二万町歩を超に、尚開墾開拓に依りて耕地と成し得べき土地が少くない、而して農産物の主なるものは米であつて、大正十年の産額は一千四百三十万石(併合当時に比し四割の増加)に達し、其の中輸移出さるゝものが三白五十万石である。殊に近来品質向上し、内地米に比して毫も劣らない程である。
米に亜ぐ重要作物は麦類であつて、大正十年に於ける産額はて一千十七万石(併合当時に比し六割の増加)輸移出額三十万石に達した。又豆類殊に大豆の産出も頗る多く、大正十年には其産額四百六十八万石(同五割の増加)輸移出額百八十八万石(同三倍強)を超えてて居る。
次に林業について言へば、朝鮮は禿山を以て名高いが、総督府設置以来林政に力を用ひたので、漸次林相が良くなり、十余年前に比して全く見違へるやうになつた地方もある。即ち併合当時は林野面積一千五百八十五万町歩の中、成林地五百十二万町歩、稚樹発生地六百十二万町歩、未立木地四百十万町歩であつたが、大正九年末には、成林地五百四十八万町歩、稚樹発生地七百二十九万町歩、未立木地三百十二万町歩の割合を示して居る。其の他漁業・鉱業の如きも著しく進展し、殊に工業としては近時漸く工場工業の発達を見るに至つた。
交通機関の発達(道路の延長三千八百里――鉄道哩程一千四百五十五哩)
朝鮮は昔から道路らしい道路が無く、多くは畔畦などを歩行して往来し、甚だ不便であつたが、総督府始政後、之が改修に努めた結果、大正十一年末に於ける既成道路の延長三千八百二十六里(併合当時に比し約十三倍)に達し、既成計画の約六割の竣功を告げ、其の幅員は一等道路四間以上、二等道路三間以上、三等道路二間以上である。営業用自動車の運転区間の如きも、已に一千六百余里の延長を有するに至つた。
鉄道の営業哩程は国有に於て一千百七十八哩(併合当時の約二倍)私設に於て二百七十七哩(同約四十六倍)を算し、殊に釜山より京城を経て新義州に至る縦貫線は、欧亜交通の根幹を為して居る。又港湾の設備も大に整ひ、就中釜山・仁川・元山・鎮南浦に於ける築港工事の如きは、其の著しいものである。
教育の進歩(学校の数二千――生徒の数三十一万二千余)
教育は普通教育・実業教育・師範教育・専門教育・大学教育の五種に分ち、大体内地の制度と異る所がない。たゞし風俗習慣等を異にし、国語を常用とするものと、然らざるものとある為、普通教育に於ては、国語を常用とするものをば、小学校・中学校・高等女学校に、然らざるものをば、普通学校・高等普通学校・女子高等普通学校に入らしめて居る。併し教授上に於ては何れも国語を以て之を行ひつゝあることは、両者共に同一である。しかし特別の事情ある場合は、両者相互に入学し得るの途を開いてある。而して普通教育以外の教育は、総て内鮮人共学である。又此等諸学校と内地に於ける同種の諸学校との入転学に関する連絡も認められ、文官任用令上の特権の如きも亦内地同様の取扱を受くることになつて居る。
教育制度の整備と共に、各種の学校が漸次設立され、普通学校の如きは大正八年に三面一校の計画を立てたが、現今は既に其の完成を告げ、将来は地方の状况に依り地方の民力に応じて更に之を増設するの方針を探つて居る。斯の如き状態で、大正十一年五月末に於ける諸学校の数は、初等程度のもの一千二百七十四(併合当時に比し約四倍)中等程度のもの四十八(同約四倍)実業学校六十(同約三倍)専門学校八(同約三倍)師範学校二であつて、其の生徒総数三十二万二千余人(同約八倍)此の外成規の教科課程に拠らずして各種の教育を為す私立学校六百二十七を算し、尚近く大学を開設する為め、大正十三年度より大学予科を開設することとなつて居る。
医療機関の普及(衛生状態の改善)
併合前に於ける衛生の状態は極めて不良であつて、現代の医学を修めた医師は絶えて無く、且つ患者の多くは鍼灸治療に依り、又巫女・売卜者の言に惑され、医療を厭ふ如き風習があつたので、年々各種の伝染病の盛んに流行する状况であつたが、併合後、医療及衛生状態の改善に意を用ひ、総督府医院を京城に設くる外、一般の診療並窮民救療を目的とする慈恵医院を各道に設け、其の数二十七を算し、又僻陬の地には公医を置き、其の数二百二十八人あり、尚各道に巡回診療を行はしめるなど、専ら医療の普及に努めて居る。此の外、保健衛生改善の為、主たる市街地に対し、工費の半額以上を補助して水道を敷設せしめ、既に之が完成を告げた市街は二十三箇所ある。又各道に補助金を給し、隔離病舎の建設並共用井戸の掘鑿等をも奨励して居る。
以上を図表によつて比較すれば即ち、左の如くである
生産額
(農産物)
明治43年 |
241,722千円 |
大正10年 |
1,097,364千円 |
(林産物)
明治43年 |
19,226千円 |
大正11年 |
71,621千円 |
(水産物)
明治43年 |
9,418千円 |
大正11年 |
74,662千円 |
(工産物)
明治43年 |
30.976千円 |
大正11年 |
257,386千円 |
(鉱産物)
明治43年 |
6,068千円 |
大正11年 |
14,504千円 |
貿易(輸移出入総額)
明治43年 |
59,697千円 |
大正11年 |
471,449千円 |
鉄道
明治43年 |
680哩 |
大正11年 |
1,438哩 |
道路
明治43年 |
301里 |
大正11年 |
3,836里 |
官公立学校
明治43年 |
339 |
大正11年 |
1,334 |
官公立学校生徒数
明治43年 |
39,026人 |
大正11年 |
296,800人 |
次に、朝鮮併合以来十ヶ年間に、朝鮮が如何に発達せしや、及び、内地に比して、尚、如何に懸隔があるか、これを各方面より比較統計せんに、即ち次の如くである。(朝鮮総督府調査)
一、面積及人口
|
面積 |
海岸線延長 |
戸数 |
人口 |
1方里人口 |
|||
|
|
|
|
|
男 |
女 |
計 |
|
|
方里 |
里分厘 |
(明治43年末) |
|
|
|
人 |
|
朝鮮 |
14,312 |
4,395.06 |
内地人 |
50,992 |
92,751 |
78,792 |
171,543 |
- |
|
|
|
朝鮮人 |
2,749,956 |
6,953,468 |
6,175,312 |
13,128,780 |
- |
|
|
|
外国人 |
3,155 |
11,239 |
1,455 |
12,694 |
- |
|
|
|
計 |
2,804,103 |
7,057,458 |
6,255,559 |
13,313,017 |
982.1 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
内地人 |
93,488 |
184,200 |
162,296 |
346,496 |
24.2 |
|
|
|
朝鮮人 |
3,196,551 |
8,695,630 |
8,195,659 |
16,891,289 |
1,180.2 |
|
|
|
外国人 |
7,087 |
23,170 |
3,164 |
26,334 |
1.8 |
|
|
|
計 |
3,297,126 |
8,903,000 |
8,361,119 |
17,264,119 |
1,206.2 |
|
|
|
(大正9年10月1日) |
|
|
|
|
|
内地 |
24,794 |
7,040.11 |
|
11,222,053 |
28,044,341 |
27,918,712 |
55,963,053 |
2,257.2 |
備考 内地‥‥‥台湾を除きたるもの(以下同断)
戸口数は大正九年十月一日国勢調査(朝鮮は臨時戸口調査)の結果に依る
二、耕地面積
|
|
田 |
畑 |
計 |
農家戸数1に付反別 |
総人口1に付反別 |
総面積100に付耕地反別 |
|
|
町 |
町 |
町 |
町 |
町 |
町 |
朝鮮 |
明治43年末 |
847,667 |
1,617,237 |
2,464,904 |
1.06 |
0.19 |
11.07 |
大正9年末 |
1,543,702 |
2,778,333 |
4,322,035 |
1.59 |
0.25 |
19.42 |
|
内地 |
(大正9年末) |
3,042,100 |
3,106,690 |
6,148,790 |
1.10 |
0.11 |
15.95 |
三、生産物価額
|
|
農産物 |
林産物 |
水産物 |
鉱産物 |
工産物 |
合計 |
総人口1に 付生産物 |
|
|
千円 |
千円 |
千円 |
千円 |
千円 |
千円 |
円 |
朝鮮 |
明治43年 |
241,722 |
19,266 |
8,103 |
6,068 |
30.976 |
306,135 |
22.995 |
大正9年 |
1,433,715 |
31,392 |
61,108 |
24,205 |
231,446 |
1,781,866 |
103.212 |
|
内地 |
(大正9年) |
4,955,315 |
550,368 |
531,085 |
624,914 |
7,164,474 |
13,826,156 |
247.059 |
|
|
粳米 |
糯米 |
陸米 |
計 |
反当収穫高 |
農家戸数1戸に付収穫高 |
総人口1に付収穫高 |
|
|
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
朝鮮 |
明治43年 |
9,725,072 |
582,601 |
97,940 |
10,405,613 |
0.769 |
4.454 |
0.782 |
大正9年 |
14,060,394 |
704,779 |
117,179 |
14,882,352 |
0.957 |
5.470 |
0.862 |
|
内地 |
(大正9年) |
56,438,167 |
4,905,398 |
1,839,150 |
63,182,715 |
2.021 |
11.337 |
1.129 |
四、米収穫高
|
|
大麦 |
小麦 |
裸麦 |
計 |
反当収穫高 |
農家戸数1戸に付収穫高 |
総人口1に付収穫高 |
|
|
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
朝鮮 |
明治43年 |
4,746,396 |
1,205,972 |
254,715 |
6,207,623 |
0.724 |
2.657 |
0.466 |
大正9年 |
7,366,800 |
2,145,641 |
348,402 |
9,860,843 |
0.800 |
3.624 |
0.571 |
|
内地 |
(大正9年) |
8,289,859 |
5,865,691 |
8,297,090 |
22,452,640 |
1.284 |
4.029 |
0.401 |
五、麦収穫高
|
|
大豆 |
小豆 |
其他の豆 |
粟 |
稗 |
|||
|
|
実数 |
反当収穫高 |
実数 |
反当収穫高 |
実数 |
反当収穫高 |
||
|
|
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
石 |
朝鮮 |
明治43年 |
2,746,358 |
0.563 |
889,326 |
- |
3,346,600 |
0.622 |
841,322 |
0.680 |
大正9年 |
4,791,197 |
0.621 |
1,213,949 |
251,483 |
6,036,452 |
0.781 |
1,073,335 |
0.884 |
|
内地 |
(大正9年) |
4,270,270 |
0.897 |
1,068,134 |
1,232,950 |
1,889,344 |
1.312 |
840,090 |
1.709 |
六、豆類及雑穀収穫高
|
|
桑作付反別 |
飼養戸数 |
掃立枚数 |
繭産額 |
養蚕戸数1に付収繭量 |
掃立枚数1に付収繭量 |
|
|
町 |
戸 |
枚 |
石 |
石 |
石 |
朝鮮 |
明治43年 |
3.344 |
76.037 |
89.980 |
13,931 |
0.183 |
0.155 |
大正9年 |
31,625 |
325,882 |
485,100 |
132,946 |
0.408 |
0.274 |
|
内地 |
(大正9年) |
534,411 |
1,894,843 |
5,719,988 |
6,333,152 |
3.342 |
1.107 |
七、家蚕
備考 飼養戸数朝鮮は春蚕内地は実戸数を掲記す
|
|
牛 |
馬 |
綿羊 |
山羊 |
豚 |
||||
|
|
牡 |
牝 |
計 |
牡 |
牝 |
計 |
|||
|
|
頭 |
頭 |
頭 |
頭 |
頭 |
頭 |
頭 |
頭 |
頭 |
朝鮮 |
明治43年末 |
258,191 |
647,865 |
906,057 |
? |
? |
40,976 |
55 |
8,361 |
572,840 |
大正9年末 |
515,143 |
974,654 |
1,489,797 |
27,382 |
27,139 |
54,521 |
1,547 |
21,075 |
977,368 |
|
内地 |
(大正9年末) |
957,057 |
419,042 |
1,376,049 |
832,146 |
636,292 |
1,468,438 |
8,519 |
133,232 |
528,112 |
八、主要家畜
九、漁獲高及製塩
|
|
漁獲高 |
海岸線1里に付漁獲高 |
水産製造物 |
製塩高 |
水産業戸数 |
総人口1に付漁獲高 |
総人口1に付製塩高 |
|
|
円 |
円 |
円 |
斤 |
円 |
円 |
斤 |
朝鮮 |
明治44年 |
6,763,160 |
1,538.83 |
2,654,919 |
286,225,815 |
87,869 |
0.481 |
20.363 |
大正9年 |
39,264,645 |
8,933.94 |
21,402,460 |
164,254,378 |
104,105 |
2.274 |
9.514 |
|
内地 |
(大正9年) |
270,294,228 |
38,394.07 |
169,521,516 |
906,593,821 |
628,851 |
4.830 |
16.200 |
一〇、鉱産額
|
|
金 |
鉄 |
石炭 |
其の他 |
計 |
|
|
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
朝鮮 |
明治43年 |
4,566,566 |
421,462 |
388,781 |
691,143 |
6,067,952 |
大正9年 |
4,086,512 |
12,456,671 |
3,917,153 |
3,744,352 |
24,204,688 |
|
内地 |
(大正9年) |
10,352,701 |
23,415,995 |
418,073,754 |
114,945,817 |
566,788,267 |
其一
|
|
稼業 |
休業 |
百分比 |
鉱夫数 |
|||
|
|
鉱区 |
坪数 |
鉱区 |
坪数 |
稼行鉱区 |
休業鉱区 |
|
朝鮮 |
明治44年 |
206 |
61,039,406 |
590 |
149,162,918 |
25.537 |
74.463 |
18,460 |
大正9年 |
178 |
240,525,070 |
2,337 |
788,498,863 |
7.078 |
92.922 |
16,470 |
|
内地 |
(大正9年) |
1,770 |
750,513,988 |
3,981 |
893,196,197 |
30.777 |
69.223 |
439,159 |
其二
備考 朝鮮は明治四十三年の調査なし
大正九年は財界不况にして鉱業界の最も衰沈せし時なり
一一、会社
|
|
農業 |
商業 |
工業 |
鉱業 |
||||
|
|
社数 |
公称資本円 |
社数 |
公称資本円 |
社数 |
公称資本円 |
社数 |
公称資本円 |
|
|
|
千円 |
|
千円 |
|
千円 |
|
千円 |
朝鮮 |
明治44年末 |
12 |
12,435 |
85 |
21,872 |
34 |
3,797 |
1 |
300 |
大正9年末 |
49 |
32,004 |
201 |
197,165 |
155 |
59,984 |
7 |
7,664 |
|
内地 |
(大正9年末) |
765 |
167,063 |
14,027 |
5,361,076 |
11,829 |
5,259,820 |
457 |
966,819 |
其一
|
|
運輸業 |
其他 |
計 |
会社1に付公称資本金 |
|||
|
|
社数 |
公称資本円 |
社数 |
公称資本円 |
社数 |
公称資本円 |
|
|
|
|
千円 |
|
千円 |
|
千円 |
千円 |
朝鮮 |
明治44年末 |
19 |
1,342 |
1 |
20 |
152 |
39,766 |
261,618 |
大正9年末 |
81 |
11,879 |
51 |
10,938 |
544 |
419,634 |
771,386 |
|
内地 |
(大正9年末) |
2,055 |
1,260,757 |
784 |
462,744 |
292,917 |
13,478,279 |
450,522 |
其二(承前)
備考 社数は本店のみを掲記す
一二、工場
|
|
染色工場 |
機械及器具工場 |
化学工場 |
飲食物工場 |
||||
|
|
工場数 |
一日平均従業者 |
工場数 |
一日平均従業者 |
工場数 |
一日平均従業者 |
工場数 |
一日平均従業者 |
朝鮮 |
明治44年末 |
17 |
628 |
24 |
499 |
44 |
1,459 |
116 |
10,150 |
大正9年末 |
122 |
6,030 |
384 |
9,463 |
489 |
9,402 |
794 |
19,206 |
|
内地 |
(大正9年末) |
18,098 |
818,795 |
6,245 |
248,404 |
5,509 |
164,170 |
7,771 |
103,001 |
其一
|
|
雑工場 |
特別工場 |
総計 |
|||
|
|
工場数 |
一日平均従業者 |
工場数 |
一日平均従業者 |
工場数 |
一日平均従業者 |
朝鮮 |
明治44年末 |
39 |
926 |
12 |
448 |
252 |
14,110 |
大正9年末 |
262 |
5,782 |
36 |
5,396 |
2,087 |
55,279 |
|
内地 |
(大正9年末) |
7,838 |
134,488 |
345 |
17,584 |
45,806 |
1,486,442 |
其二(承前)
備考 本表には諸官庁直轄工場の事実を包含せず
製造時期に於て平均一日使用人員五人以上のもの並原動力を有するものに付調査掲記す
特別工場欄には電気業、瓦斯業、金属精錬業及採鉱業を掲記す
|
|
電気供給及電鉄事業 |
自家用電気工作物 |
官庁施設電気工作物 |
合計 |
同上原動力別発電力 |
|||||||
|
|
事業数 |
発電力 |
事業数 |
発電力 |
事業数 |
発電力 |
事業数 |
発電力 |
水力 |
汽力 |
瓦斯力 |
計 |
|
|
|
k.w |
|
k.w |
|
k.w |
|
k.w |
k.w |
k.w |
k.w |
k.w |
朝鮮 |
大正元年末 |
13 |
4,800 |
5 |
130 |
6 |
622 |
24 |
5,552 |
75 |
4,447 |
1,030 |
5,552 |
大正9年末 |
28 |
15,668 |
42 |
31,296 |
10 |
1,821 |
80 |
48,785 |
14,827 |
30,726 |
3,232 |
48,785 |
|
内地 |
(大正9年末) |
648 |
790,286 |
3,049 |
370,004 |
137 |
54,072 |
3,834 |
1,214,362 |
731,385 |
443,788 |
39,189 |
1,214,362 |
一三、電気事業及発電力
|
|
輸移出 |
輸移入 |
合計 |
総人口1に付輸移出入額 |
||
|
|
輸移出 |
輸移入 |
合計 |
|||
|
|
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
朝鮮 |
明治43年 |
19,913,843 |
39,782,756 |
59,696,599 |
1.495 |
2.988 |
4.484 |
大正9年 |
191,958,694 |
238,956,413 |
430,915,107 |
11.118 |
13.841 |
24.760 |
|
内地 |
(大正9年) |
2,298,441,020 |
2,590,930,749 |
4,889,371,769 |
41.111 |
46.297 |
87.408 |
一四、輸移出入品価額
|
|
停車場数 |
線路 |
百方里に付線路 |
線路1哩に付 |
||||
|
|
|
国有 |
私有 |
計 |
|
乗車員数 |
貨物噸数 |
運輸収入 |
|
|
|
哩分 |
哩分 |
哩分 |
哩分 |
人 |
噸 |
円 |
朝鮮 |
明治43年末 |
110 |
674.6 |
6.2 |
680.9 |
4.8 |
3,010 |
1,305 |
6,705 |
大正9年末 |
255 |
1,157.4 |
191.6 |
1,349.0 |
9.4 |
10,124 |
2,596 |
18,488 |
|
内地 |
(大正9年末) |
3,459 |
6,484.7 |
1,992.4 |
8,477.1 |
34.2 |
61,557 |
8,100 |
43,761 |
一五、鉄道(開業線)
|
|
通常郵便 |
小包郵便 |
||||||
|
|
引受 |
配達 |
総人口1に付 |
引受 |
配達 |
総人口1に付 |
||
|
|
引受 |
配達 |
引受 |
配達 |
||||
|
|
千通 |
千通 |
通 |
通 |
千個 |
千個 |
通 |
通 |
朝鮮 |
明治43年度 |
47,084 |
53,181 |
3.537 |
3.995 |
662 |
928 |
0.050 |
0.070 |
大正9年度 |
134,879 |
145,115 |
7.812 |
8.406 |
1,655 |
2,231 |
0.096 |
0.129 |
|
内地 |
(大正9年度) |
3,806,120 |
3,820,553 |
68.011 |
68.269 |
43,183 |
40,420 |
0.772 |
0.722 |
一六、郵便物
広告郵便並集金郵便は之を包含せず
|
|
|
総額 |
総人口1人平均金額 |
預金人員 |
現在高 |
1人平均金額 |
総人口100に付 |
|
|
|
預金人員 |
預金高 |
||||||
|
|
|
円 |
円 |
|
円 |
円 |
人 |
円 |
朝鮮 |
明治43年度内預入 |
内地人 |
- |
- |
104,073 |
3,016,420 |
28,984 |
60.669 |
175.840 |
|
朝鮮人 |
- |
- |
34,914 |
190,045 |
5,443 |
0.266 |
1.448 |
|
|
|
計 |
5,130,662 |
0.385 |
138,986 |
3,206,465 |
23,070 |
1.044 |
24.085 |
|
大正9年度内預入 |
内地人 |
43,312,000 |
12.500 |
305,928 |
14,767,404 |
48,271 |
88.292 |
426.193 |
|
|
朝鮮人 |
4,961,578 |
0.294 |
1,077,160 |
2,326,166 |
2,160 |
6.377 |
13.771 |
|
|
計 |
48,273,578 |
2.796 |
1,383,088 |
17,093,570 |
12,359 |
8.011 |
99.012 |
内地 |
(大正9年度内預入) |
|
788,624,053 |
14.092 |
23,174,960 |
854,323,616 |
36,864 |
41.411 |
1,526.585 |
一七、郵便貯金
備考 明治四十三年度内預入の内鮮人別調査したるものなし
朝鮮の内地人計数中には外国人の分も包含せり
一八、歳入歳出決算
|
|
歳入 |
歳出 |
人口1に付 |
|||||
|
|
経常 |
臨時 |
計 |
経常 |
臨時 |
計 |
歳入 |
歳出 |
|
|
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
朝鮮 |
明治43年度 |
11,953,272 |
10,368,475 |
22,321,747 |
9,916,993 |
8,340,390 |
18,257,383 |
1.676 |
1.372 |
大正9年度 |
71,343,610 |
75,000,027 |
146,343,637 |
64,213,046 |
58,008,251 |
122,221,297 |
8.476 |
7.079 |
|
内地 |
(大正9年度) |
1,174,688,429 |
825,975,201 |
2,000,663,630 |
709,313,941 |
650,664,314 |
1,359,978,255 |
35.749 |
24.301 |
備考 大正九年度内地は予算朝鮮は決算
朝鮮人が故郷を後にして、奔出する根本原因とも観る可きものは、上述の精神的勢力であるが、更に、これを、具体的に観察すれば、其処に大別し得べき、二つの傾向がある。一を、駆逐的原因とし、他を、牽引的原因と看ることが出来る。
一 駆逐的原因 朝鮮下層民(大概農民である)の生活をして不可能、困難.又は、単調ならしめ、随ふて彼等を駆て郷土を去らざるを得ざらしむる、或は、彼等を刺戟して之をなさしむる原因となるものにして、経済的に、精神的に、又、社会的に交渉を持つものである。
駆逐的原因中、第一に、朝鮮小作制度の欠陷を挙げたい。而して小作人の生活が如何に窮迫し、然も、文化の刺戟は彼等の生活を如何やうに変化させたかを看るときに、内地へ来住せる朝鮮下層が、低級なる彼等の生活の現状に、尚、耐え得る理由を見出す事が出来やう。
朝鮮総督府について研究せしところに拠れば、朝鮮の小作の種類は小作料決定の方法に依つて、大凡二種に別たれて居る。即ち、一定の額を毎年収穫後、収穫物、或は、金銭を以て地主に支払ふ定額法と、地主立会の上収穫物を、脱穀調製して等分する分益法とである。更に、之を細別すれば、次の如き関係になる。
小作種類 |
{ |
定額法 |
{ |
賭只 |
永賭 |
||||
分益法 |
{ |
打作 |
||
執穂 |
賭只とは、小作人から一定の額を毎年収穫後穀物又は金銭を以て地主に支払ふもので垈及田に多く行はれる、定額の標準は通常その地方に於ける同等地の主要作物平年作収穫の四割内外を以て定め、これを時価に換算した、籾、又は、金銭、代物を以てし、(但、朝鮮に於ては内地に於ける一反歩に相当する面積の田地よりの収穫普通一石二、三斗位なり、之を吾が大阪近傍の三石と比すれば小作料の四割は小作人によりて大きな負担である)加之、地租は小作人の負担である。
永賭とは、賭只の一種で極少数行はれつゝあるもので、十年間又は永久に、小作人が地主に定額の分配をなし、地主権は小作人が任意に使用するのである、煙草、人参其他の特用作物を耕作する場所に多く行はれ、地租は小作人が負担する、又小作人は地主権を禾利と称して、これを転売する事が出来る。
打作とは、地主立会の上、収穫物を脱穀調製して等分するのである。地主が他郷にあるものは、藁及副産物は小作人が全部之を収得して、小作料の運搬、(往々にして数十里に及ぶ)及地租を負担するを慣しとして居る。
執穂とは、穂の成熟した時、地主小作人立会し作柄を検見して収穫予想高を協定し、其半分を以て其年の小作料と定め、前項打作に於ける立会の煩を省くのである。協定後災害あるときは、実収に応じて減免するを例とする、地租は主として小作人が負担し、稀に地主小作人の共同負担とするところもある。然し、この協定は殆んど地主の専断と云つてよい位で、地主の査定に対して小作人は何等異議を申立つる事が出来ない習慣となつて居る。
以上小作の種別は概略説明したが之を土地の価値によりて考察するに
(イ)南鮮地方の如く、土地肥沃で、耕作も容易に、且つ、収穫多き(殊に裡作の出来る)地方では、小作権の争奪が劇しく、従つて、分配については、常に、地主が有利の地位に立つて居る、小作方法も、賭只法よりは執穂法、又は、打作法を用ひ、藁、及副産物をも之を折半して、地租は、稀に、地主小作人共同に負担し、大概は小作人負担として、益々小作人の利得を削減する傾向がある。茲に、注意すべきは、この執穂法は、地主の為に最も有利なる事である。この方法は、其年の作柄を検見して、小作人と合意の上、小作料を定める事になつて居るので、一見、甚だ公平な様ではあるが、協定については、地主側が、専断に、之れを推定し、小作人は仮令不服があつても、小作権を取上げらるゝ虞があるので、常に、泣寝入の結果に終るのである。故に、強慾なる地主は、努めて、この方法を用ひ、今後益々広く行はれんとする傾向がある。
(ロ)西北鮮地方の如き、土地硅确、耕作に多くの労力を要し、生産多からざる地方は、分配については小作人が有利であつて、多く賭只法を用ひ、藁、稈等は小作人之を収得し、地租は地主小作人共同、又は、地主の負担とするを例として居る。
(ハ)中部地方は、古来、職田の所在地であつて、今、尚、両班(ヤンバン)、貴族の大地主多く、従つて、地主、小作人の関係は、十地貸借関係の外に、主従、隷属の関係を有して居る。地主から小作料領収の為め派遣する者を、秋収官と称して、小作人は之を視ること、恰も、徴税官吏の如く、小作料は之を称して上納と云ふが如き其一例である。
(ニ)災害地等で、年々、収穫定まらざる土地に於ては、賭只法より打作法が多く行はれる。此種の土地は、耕作方法が極めて粗放で、小作人は小面積に多くの労力を用ふるよりは、耕作の大面積を貪る為め、小作権争奪が行はれ、分配に於ては是又地主が有利の地位に立つのである。
斯の如き種類の小作の下に、朝鮮小作人が、如何に、不安であり、不利であるか、以下、逐次説明せんとするのである。
朝鮮小作人の不安の最大なるものは小作期限がない事である。朝鮮の小作は由来期限がない、従つて、一度契約すれば、小作人に不都合なく、地主が変らない限り、引続き、これを小作せしめ、延て、其子孫迄に伝ふることがないではないが、又、一方、地主の都合次第で、何時にても之を解約し得るのである。内地に於ても、小作期限の定めなきを普通とすれども、其精紳は、地主がなくなるか、小作人がなくなるとかの極限に至らざる限り、期間は必然的に延長される習慣であるが、朝鮮に於ては期限の不定は、何時にても小作地を取上ぐる事が出来ると謂ふ様に、地主が、小作人に対する、唯一の、武器であり、嚇しである。近来、三年、五年と、小作期限を定むる地主もあるが、大概は、旧慣を保守して小作期限は普通定めて居ない。かゝる結果たとへ小作契約の内容に於ては、肥料の点に到るまで詳細に商議締結しあるも、小作人が地主の都合に拠り、何時、小作地を没収さるゝや計り難き不安と、小作人が自己の勤労の結果辛じて小作地を優良なる耕作地となす時は、却て、その
小作地に対し、小作の競争者現はれ、自己の勢力に何等酬いられざるのみか、小作地を失ふに到らんとする恐怖は、常に、小作人をして小作地を愛せしむる事なく、耕地の有様を一見して、直ちに、小作地なるや、自作地なるや、を識別し得る程である。
かゝる不安裏にある朝鮮小作人は、一面又非常に不利な立場に置かれて居る。小作料についても、殆んど、内地の収穫の半分に充たざる劣等地にもかゝわらず、その割合は内地のそれと変るところはない、加ふるに、小作人の負担となる諸雑費は実に莫大なものである。先づ、小作料について研究せんに、朝鮮に於ける小作料は大別左の三種と考ふる事が出来る。
(イ)収穫物を以てするのが最も普通である。例へば、畑にありては、その土地で収穫したる豆、麦及粟、田にありては、籾を以てするのである。田の裡作及畑の間作収穫物並藁、稈類は全部小作人が収得したのであつたが、近来は漸次之を地主と折半分配する様になり、藁類は運搬の不便を避けむが為め之を籾に換へる者が多い。
(ロ)代物を付てするもの。主として畑に於て行はれ、籾を以て代納するのが普通である。
(ハ)金銭を以てするもの。一部特殊の場合に限るのである、例へば、田の芹作、莞草作、畑の瓜作、大根、煙草作の如き収穫物を以て小作料を納むる時は地主が其処置に困難するが如き場合には、小作人に於て之を処分して代金を以て納むるを例とする、但、地主から現品分配の請求がある時は、勿論、それに従ふのである。近時、国有地小作料は総て金納に改めたが、民間に於ては未だ之に倣つたところは少い。
かくして納めらるゝ小作料は、生産高及地価に対して如何なる割合に相当するか、次表に示さるゝが如き有様である。
|
|
生産高に対する百分率 |
地価に対する百分率 |
|||||
|
最高 |
普通 |
最低 |
最上 |
普通 |
最下 |
||
田 |
賭只法 |
60 |
40 |
30 |
9 |
8 |
6 |
|
|
打作法 |
55 |
50 |
40 |
12 |
9 |
7 |
|
|
打穂法 |
50 |
50 |
40 |
12 |
9 |
7 |
|
畑 |
賭只法 |
50 |
40 |
30 |
8 |
6 |
5 |
|
|
打作法 |
50 |
50 |
50 |
10 |
8 |
6 |
|
|
打穂法 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
備考 反当り玄米収穫高の比較(平年作)
内地 約二石
朝鮮 約一石
大正十年度朝鮮米収穫高 一四、三二四、三五二石(玄米)
作付反別 一、五三一、五四五町歩
反当り 九斗三升五合強
本表に於けるが如く、小作料の生産高に対する割合は内地と格別相違はないが、同一単位の面積に於て、年収穫、内地の半に過ぎざる朝鮮小作人の収入は、実に貧弱なものである。この貧しき収入にて、彼等が負担は誠に重いのであるから、小作人の生活の苦痛なる事は思ひ半に過ぐるものがある。
現今慣習的に行はれて居る朝鮮小作地のの諸負担を解剖すれば
(一)地税及土地に関する諸公課金は法規上当然地主の負担であるが、実際に於ては、京畿道及西鮮地方の部を除くの外は、概ね、小作人が負担し、或は地主、小作人均等に負担するのである。「耕作者が田租を負担する」と云ふことは古代公田制以来の遺風で、李朝に入りても地税は小作人から復収することになつて居たが、近代に至つて、土地の収益の過半を地主に分配することゝなつては、地税を小作人に負担せしむることは余りに負担が一方に偏重するのみか、地税の如き国家重要の歳入を土地に責任なく、異動常ならざる、而も貧弱なる小作人より徴収することは、財政の確実を図る所以でないから、之を地主の負担と為して、地主より徴収すべし、と云ふことは屡々廟議に上つて度(ママ)たが、併合後大正三年改正地税令(制令第一号)を以て左の如く規定した。
一、質権、又は質の性質を有する典当権の目的たる土地に付ては、質権者又は典当権者
二、二十年以上の存続期間の定めある地上権の目的たる土地に付ては地上権者
三、前二号以外の土地に付ては所有者
施行十余年、今尚、徹底的実施を見ず、彼等地主は依然として之を小作人に転嫁し、法規上納税義務者たる自己の名を以て小作人をして之を負担せしめ納付せしむること、従来と異なるところがない。稀に、小作人より異議を唱へて、(朝鮮の小作争議と云へば此の程度のものである)地主の負担となり、又は、共同負担となつた例もあるが、普通は小作人が凡て負担して更に恠しまない。而も地主の担税能力が基準となつて、年々増加されるので、地税、諸公課に対する小作人の負担は莫大なものを謂はねばならぬ。
(二)用水料(俗称水税)は賭只にありては小作人、其他にありては地主、小作人共同負担である。近年設置さるゝ水利組合地域内に於ける組合費は、法規上、組合員たる地主の負担であるが、実際には是、亦小作人に幾分かを負担せしむるところが多く、公然、黙認されて居る。蓋し、水利組合費の分担は用水料共同負担の旧慣に因るものである。
(三)種子は原則として賭只にありては小作人其他にありては地主の負担である。後者の場合は地主は多く初年一回の種子を負担し、爾後は其収穫物に付て分配前種子用として之を天引し置くから、地主、小作人共同負担の結果となる。又特約を以て、毎年地主に於て種子の全部を負担する時は、其の代償として全部小作人の収得すべき藁の一半を分配するのが例である。種子の分量は一反歩に付一斗の割合を標準とするが、実際は五升乃至七升を所要量としてる。
(四)金肥代は常に小作人の負担である。但、地質改良の意味に於て一時に多額の入費を要する様な金肥を使用する場合、而も之が小作人の自発にあらずして地主の慫慂に依つて為す時は、多くは地主、小作人の共同負担である。
(五)土地の修復は其程度によつて負担側を異にするが概ね左の区分に依るのである。
(イ)小作人が耕耘の序を以て容易に修復を得るものは小作人の負担。
(ロ)右以上に他の人夫を要せず、小作人及其家族の力を以て為し得るものも小作人負担である。但し、木石等の材料を要するものは地主が負担し、尚昼食酒代等を負担するのである。
(ハ)右以上の程度は全く地主の負担であるが、小作人は(イ)の場合の程度に於て手伝を為すのである。
(六)堤堰洑の修理
(イ)土地と所属を異にして用水料を徴収する場合にありては、堤堰洑の所有者、又は、用水料収得者が之を負担する。
(ロ)堤堰洑が小作地に附属し、又は、公有に係リて用水料なき場合にありては、
(一)堤堰契、洑契の設けあるものは契則に依つて契主又は契員(地主又は小作人)が負担する。
(二)然らざるものは地主、小作人共同の負担である。
(七) 灌漑、防排水設備
(イ)灌漑元より小作地に至る支線水路の掘鍮、汲上げ、防排水の為めの土手の締切、決潰等簡易にして小規模の工事は小作人の負担である。
(ロ)右以上大規模の工事は地主の負担であるが、小作人は自家労力を以て為し得る程度に於て若干の助力を為すのである。
(八)小作人の雑負担 小作人は前各項に於ける負担の外、種々の負担がある。
(イ)色組 こは沓打作の場合小作人より小作地一ヶ所毎に籾五升宛を地主に納むるものである。此慣習は昔官田各宮家の田領に於て、上納小作籾の看色(見本)として、小作人より収穫後、先づ、之を地主に提出して置いて、後日小作籾を上納する時に、籾の品質の符合を証明するのであつたが、後世一般の地主は此方法を採用して、品質引合せの必要の有無に拘らずして地主の雑収入として之を要求するのである。
(ロ)斗量賃及調製場使用料 斗量は元来小作人が之に当る可きであるが、桝取りに第三者を傭ふ時には、其労銀は小作人が負担するのである。又調製場を借る時は、其使用料の一半は小作人が負担するのである。
(九)舎音及秋収員 地主(アブサ)不在(ンティ)制度(ズム)の多い朝鮮では、小作地に舎音を置いて之を管理させ、又秋収員を派遣して小作料の徴収を為すのが例である。故に、原則として舎音の報酬は地主の負担であるが、多くは其一部を小作人に分担せしめつゝある。其負担の程度は収穫物に付き小作人一人毎に一斗、又は一筆地毎に五升、及春秋二期に夫役(牛馬耕を含む)二三日分を負担せしむるのである。秋収員が地主より小作料の徴収の為め派遣され、舎音方に滞在する時は、其宿泊食物の接待は当然舎音が負担すべきものであるが、舎音は其一部を金銭又は物質を以て小作人に分担せしめるのである。其他、収穫物調製に際して舎音方を使用せば、之、又小作人より使用料を徴発する。朝鮮小作制度に於ては舎音、秋収員は小作人と密接なる利害関係を有する者であるから少しく詳細に舎音、秋収員について解く事にする。
朝鮮の現状の如く、地主は概ね京地其他都会に居住し、農村は小作農を以て充たされて居る場合に於ては舎音、秋収員は又必須の機関であつて、農村には舎音が割拠し小作人は舎音により支配され、地主は其土地の状態すら知らないのが普通である。故に、地主小作人関係の第一線は実に此舎音であると云はねばならぬ。
1.舎音契約 舎音は従来地主が任命するのであるが、近時小作契約の施行と共に、小作地管理権委任の形式に於て報酬契約をなす様になつて来たのである。
舎音契約の期限は是、亦小作契約と同様無期限である。従つて地主の都合や感情で、何時にても解免することが出来るのである。但、耕作期間中、即ち舎音服務の進行中に限り解除の出来ない習慣となつて居る。舎音の権限及服務に付ては、別に約定のない限りは大要左の様なものである。
(イ)土地事務に関し地主を代理すること。例へば地籍に関する申告代理人、納税管理人となるが如きものである。
(ロ)小作人を監督すること。即ち、耕作上の制限の違反有無、小作人諸負担の履行方督励、其他、耕作上の督励をなすの類
(ハ)小作人を黜陟すること。異動の範囲稍々広く、事態重大と認むるものは一応地主の内諾を経て之を為すが、通常は舎音の一存で之を異にするのである。
(ニ)小作料の査定、徴収及保管を為すこと。但、地主が別に秋収員を派遣したる場合は、小作料の査定、徴収は秋収員が之を為し、舎音は只、之に参与するのみである。
(ホ)種子の保管を為すこと。種子は原則として小作人が保管するのであるが、舎音も責任があるから、多くは之を舎音に於て取纏めて保管するのである。
(ヘ)地主、小作人間の諸取次を為すこと。例へば、地主から小作人に対する食糧、農資等の貸付、其他耕作上特殊の注文等は舍音を通じて之を為し、小作人から地主に対する小作料の減免、其他の懇望等は又舎音を通じて之を為すのである。
以上は普通舎音の職責であるが、小作地が面積広大で数ヶ村に散在し、舎音を以て管理し難き場合は舎音は更に複代理の形式に於て、又舎音を置く事がある。本舎音は之を大舎音、又は、上舎音、都舎音と称し、又舎音は之を小舎音又は、中舎音、該舎音と称する。小舎音は直接小作人に接触し、大舎音は此等小舎音の指導、監督に任じ地主に対して直接の責任を負ふのである。
舎音の地位が斯の如くであるから其大なる者は、地方に於て頗る勢力を張つてる。小作人級から舎音となり得ることは非常なる栄達とされて居るから、舎音の運動者は何れの処にも多く、往々にして、地主又は其親近者に多大の苞苴を遣はして其の地位を獲得する者さへある。但、小作人としては、大舎音の報酬の一部まで負担しなければならないのであるから、益々、苦しい生活に泣かされる事になるのである。
2.舎音の報酬 舎音は大体地主から報酬を受くるのであるが、其給与の方法は、
(イ)普通は小作地の内五六反歩乃至一町歩位の田畑を、舎音の選択により無料耕作させるのである。其大なる者は住宅を給し、畜牛、農具、其他農家としての一家屋を具へて之を給付するのである。
(ロ)前項に依らざるものは小作料収入の二分乃至一割を、総額五六石乃至二三十石の範囲に於て、給与するのである。
右は舎音が地主から受くる定例の報酬であるが、之を以て満足する者は殆んど稀で、多くは其地位を利用して小作人に誅求を加へ、其膏血を食むことを以て彼等当然の役得として居るのである。
3.舎音存在の利益 舎音の存在が地主、小作人の為め又は、農政上から見て利益ありと認らるゝ場合は、
(イ)舎音を設けたところは地主が遠方に居て、身分、地位、職業上親しく小作地のことに携はり難き事情にあるのであるから、僅少の報酬を以て、之れを、委託することは地主に取つて頗る便利で欠くべからざるものである。
(ロ)小作人の各人が遠方に居て、小作地に無関心な而も農事に無理解な地主を相手と為すよりは、其土地に住し農家の事情に通じた舎音を通して、諸般の交渉を為すことが、小作人に取つて便利なのである。
4.舎音の弊害 元舎音は中間業者で、土地の興廃と小作人の盛衰に直接の利害を有せざるに拘らず、土地に不案内なる地主を代表して小作人の生命とも云ふべき小作権、与奪の権能を以て、貧弱なる小作人に臨むのであるから、自然、中間に於て不正の利慾を恣にし易く、従つて、種々の弊害を醸すことが多いのである。例へば、
(イ)私利、私情の為め濫りに小作人を変更する者が多い。為めに、耕地分配の均衡を失ひ、従つて、部落民の融和を破ることが多い。
(ロ)小作人の取扱に付ては平素の贈物見舞品等の多寡に依りて偏頗なる等差を設くる者がある。
(ハ)小作人に対し濫りに自己私用の為め夫役を命じ、駆使甚だ残酷なることがある。
(ニ)地主より受くる定例報酬の外、小作人より若干の報酬を徴収する者が多い。
(ホ)其保管に係る種子は、之れを、劣等で安価たるものに取替へたり、又は、著しく量を減じたり、又、或は、之れを全くして不正の利得を図る者が多い。従つて、農作物優良品種の普及、更新、選択等指導施設は、為めに障碍を来し易く、殊に、種子交換、並、共同貯蔵等の施設は彼等の利害と相反するを以て、努めて之に反対し、動もすれば、勧業施設を故意に悪評する傾向がある。
(ヘ)小作、作物の収量の増減、品質の良否は舎音の痛痒を感ぜざる所であるから、小作人に勧業上の指導を加へ、又は、便宜を図ることなく、殊に、刈取、脱穀に付て小作人の事情を顧みず、自己便宜に依り期日場所を定め、通例、一時に数十百町歩の分を実行するを以て、稗抜、刈取、乾燥、調製等に関する勧業施設は徹底を欠ぐ。
(ト)小作籾の徴収に際して、故意に、不正の計量を為し、一応舎音宅に搬入の上再び計量し、又は、品質不良のものを混合して、中間に於て不正の利得を図る者がある。
(チ)賭只にありては、地主と契約せる外に小作料を高めたり、或は、其年の作况を見て俄に打作に変更して小作料の利剰を図る者がある。
(リ)地主より委託された金品、殊に、税金、公課の如きを横領して、兎角、納付を遅延する者が多い。
(ヌ)地主の監督不充分なるを奇貨として、往々、地面、地目等を自己利益の為めに変換、分合して、故意に、制規の手続を怠る者がある。
斯の如く、舎音の弊害は誠に甚しく、為めに、農村発達の根蒂を危くして居る。加ふるに、近来舎音の競争者多く、地主も其弊害(地主の利益に対する)を感知して、頻繁に之れを更迭し、又は、臨時に人を派遣する為め、舎音は其地位稍々不安となり、極力地主の歓心を買はむことに努め、漸次小作人の利得を削減して、地主の利益を図るに汲々するの傾向を生じて来た。其主なる手段は左の様である。
(イ)従来賭只であつて小作人に有利なるものは、之れを打作に変更せしむるか、又は、賭租を増額する。
(ロ)打作であつて収穫の少きものは、高額の賭只に変更する。
(ハ)執穂検見の場合はなるべく余分に見積り、多量の小作料を固定する。
(ニ)従来小作人の利得であつた二毛作の収穫をも地主に分配させる。
(ホ)従来小作人の利得であつた藁も地主に分配せしめ、又、藁の代物として多額の籾を徴収する。
(ヘ)従来地主又は地主、小作人共同負担であつた種子を全く小作人に負担させる。
(ト)秋収員其他地主から派遣せる者に贈物用として小作人より種々の金品を徴収する。
(チ)地主と結託して小作人に金穀の高利貸付を為し、又は、物資を高価に売付けて暴利を貪る。
(リ)土地の売物は努めて之を取纏め地主に買はせて、其管理の範囲を拡めむことを図るを以て、益々土地の兼併を助長する。
斯様に舎音が地主の利益を謀らんが為めに有らゆる手段を講じて小作人を苦しめ、地主亦眼然の利に走りてかゝる舎音を敏腕なるものとして歓迎し、小作人等は舎音の無理誅求に対し結束して反抗し、又は、自ら奮起努力するの気力なく、表面には如何なる要求虐待にも之に屈従しながら、裏面に於ては、収穫物の竊取、隠匿委托保管品の消費等、不正の利得を図らむことに努め、舎音、小作人交々不正の利を占めん事に汲々とし、地主又小作料評価の標準を、地価に対し一割以上の利廻とならずんば、土地を所有する価値なしとして、此相当額の小作料を要求し、以て生きん為めに忍ぶ事を余儀なくされて居る小作人を益々苦境に陷れて、何等顧みる事なき現状は、実に、朝鮮農村将来の為めに寒心に耐えないものである。
5.秋収員 地主は収穫時期になると、身自ら小作地へ出張し難き場合には秋収員を派遣し、舎音を督励して小作料の微収を為す。秋収員は全く一時的に地主の使者たるに過ぎぬので、別段の契約は結ばれないいのが普通である。只地主から派遣の旨を口頭又は書面を以て舎音に通知するのみにて、事足れりと、されて居る。
秋収員は地主から報酬として、大抵小作料徴収高の百分の一乃至百分の五位のものを受ける。秋収員が小作地に到着するや舎音は饗宴を張つて之を迎へる、秋収員は舎音宅に止宿して万事舎音の取計に依つて小作料を徴収し、之れを舎音に保管させた上、秋収記と称する小作人別徴収小作料目録を作成して地主方に引き上ぐれば、秋収員の任務は茲で終るのである。この秋収員の滞在費用も一部は小作人の負担となること前述の如しである。
舎音、秋収員については大略上述の如きである。朝鮮の如く重に地主不在制度の処では舎音、秋収員は其人を得れば相当有益なものであるけれども、本来道徳上に腐敗せる朝鮮の社会に於ては、其弊害のみ多くして利益の之に伴はざる憾みがある。
以上九項に渉つて述べしが如く朝鮮小作人の負担は非常なものである。其結果従来は一般小作人は耕作の収入に依りて春夏秋冬を通じては穀類を常食する事を得ず、一ヶ年の中二ヶ月以上は草根木の類を食事して餓を癒して来たものであつた。殆んど先天的に慣習づけられて、更らに怪しみもしつた程、歴史的にこの悲惨な生活をして来たのである。然も、彼等は彼等の利益の為めに、幸福の為めに、団結して対抗するには余りに餓えて居る、と同時に、教化されて居ない。それのみか、仲間を裏切る事を何んとも思はない程、廉恥心なき朝鮮下層民の現在を以ては、彼等の力に拠つて彼等の権利を増進せんとするは至難な事である。
以上は朝鮮に於ける小作制度の現状である。かゝる制度の下に生きて行かなければならない小作人の生活は、実に、思ひ半ばに過ぐるものがあらう。茲に、朝鮮人下層民の生活に対する苦悩を喞つ声は湧き出で、次いで彼等を駆逐する導火線ともなるのである。
調査者は此章の初めに於て日本が朝鮮を併合して以来、朝鮮は物質的に、精神的に、急速の進歩をして朝鮮上下の所得と生活が、之れを、朝鮮独立時代に比較すれば隔世の感ある程なる事を説いた。而して前節に於て、朝鮮小作人は従来自己の所得に依つては一ヶ年間を通じて穀類を常食とする事さへ能はざりし悲運を述ベた。然るに、茲に、朝鮮下層民の生活が甚だ困難となり、之れが為に、彼等は郷土を逐はれるものである、と論ずる時は大きな矛盾を感ずるならんも、之れ彼等の間に益々拡まり又強まり行く文化の刺戟と、今日の農業状態との間に存在する矛盾より生ぜる苦悶であつて、決して単純なる生活困難を意味するものではないのである。詳言すれば、朝鮮小作人は今日尚、草根木皮の類を食するが如き下等なる生活をすらも、営むに困難となつて来たと云ふ意味ではないのである。事実に於ては、彼等は最早や、草根木皮の類を食する事に依つて満足する事が出来なくなつたのである。曽て、大正八、九年の頃に米価暴騰して朝鮮小作農の恵まれし時代があつた。彼等は其時始めて、一ヶ年を通じて、穀類を常食となし得たのである。爾来、朝鮮小作人は如何にしても再び草根木皮の類を食する事が出来なくなり、例へ、米価が低落して彼等の生活が窮迫しても、外に、収入を求むる事に努力して、再び、以前の下等生活を繰返す事なく、現在に於ては、既に、草根木皮を或る期間常食とするが如き風習は朝鮮の地を払つたのである。是れと同じ例は朝鮮に於ける朝鮮人日傭労働者の間にも現れて居る。従来朝鮮に於ける朝鮮人日傭労働者は徒食出来る間は決して働くことなく、下等なる生活をしても、徒食なし得るてふ事、其れ自体が誇りであり、仲間の羨望であつたのである。然るに、彼等は金を得る為めには何時でも働くやうになつた、と同時に彼等の生活は著しく向上されて居る。
之を要するに、彼等の生活難は、つまり、其標準が益々高まり行く生活を営む為めに困難を感ずるのであつて、茲に、彼等の進歩があり発展が芽ぐむのである。決して此の状態を以て、彼等下層民が奢侈に流るゝ結果なりと譴責する勿れ、彼等も現代人である、昔の農奴ではない、されば、彼等も現代的要求を起すのは当然であつて、敢て怪む可きことでも、亦非難す可きことでもないのである。
駆逐的原因を述ぶる終りに際し、朝鮮下層民の社会的不利と、朝鮮婦女子の発達とを其の原因の一項として挙げたい。由来、朝鮮は非常に階級制度の厳格なる国である。両班(ヤンバン)貴族と庶民とは勿論、一般庶民の中にても白丁(ピヤクチヨン)、鞋(ケイ)匠(セウ)などは特殊に取扱はれ、社会的に非常に自由の束縛を受けて居るのであつた。同様に、地主と小作人、雇主と被傭人、その階級的差別の峻烈さは到底少しでも覚醒せる者をして忍び得ざる感がある。又一般に無産者は社会的に侮辱さるゝこと甚しく、一例を挙ぐれば、朝鮮の習慣として七、八才の幼児も妻を娶れば成年人格者たるの資格を得、其象表として冠を戴きたるに反し、妻を娶らざるものは冠を戴くを得ず、一人前の人格者として認められず、総角(チヨンガア)として社会的に軽視され、年齢の如何を問はず辮髪を衆目に晒らしたものであつた。(現在は断髪の風の流行につれ一見識別し難きも未婚男子の軽視さるゝ風習は同様である)而も朝鮮人の間に於ては、結婚費用を莫大に要し、無産者の直ちに行ひ得ざる程度のものである。かゝる厳格なる階級制度は下層民に非常なる社会的圧迫の下に生活せざる可からざる結果を来し、因りて、以て、生活向上の見込さへあれば、実に万難を排して此圧迫より逃る可く郷土を離れて新天地を求めんとする傾向を現にして居るのである。次に女子の発達が如何に朝鮮人の無産階級青年を刺戟なせしやと云ふに、前述の如く、朝鮮人は婚姻に際して多額の費用を必要とするの意味は朝鮮人の結婚は妻を購ふものであつて、従来、嫁は購はれて不見不知の男を夫としたものであつた。然し、朝鮮の社会的進歩は独り女子のみを取り残す事は出来なかつた。近来、女子は自己の将来を唯、単に、人身売買の如き不合理極まる方法に因つて、委ねる事では満足出来なくなり、一般朝鮮人女子も結婚について主張を持ち、選択するやうになつた。而して彼等は内地に渡航した経験のある者に対しては、新知識的持主として尊敬するのである。此傾向は確に田舎の無産青年の心理をして、内地の文化を慕ひ、野心勃々として彼等を内地へ到らしむる強い潜勢力である事を、否定する事が出来ないのである。
調査者は其初め、朝鮮人労働者の来住は殖民と同じく、国内の人口増加に伴ひて生活が益々困窮となるが為めに、或は、現代社会の経済的組織の変動に影響されて現はれしものならんと思惟せしも、実際に於て必ずしも然らざる事を発見したのである。朝鮮の人口は逐年増加して居る。然し、耕地面積も其れ以上増加して居る。其他、米、麦、雑穀の収穫、漁獲高、等旧年の比でない事は本章当初の統計の示すところである。然も、朝鮮に居住する内地人は近々約三十九万に過ぎない。而して、職業の主なるものは、商業及交通業、公務及自由業にして、朝鮮人小作農労働者を駆逐するが如き移住者は殆んどなきのみならず、内地人労働者は朝鮮に於ては到底、朝鮮人、支那人労働者に対し生活、及び労銀の点について敵ではないのである。故に特種の技術を有する者の外は、内地人労働者は却て朝鮮より駆逐さるゝのである。
茲に大正十年末に於ける朝鮮の人口千七百四十五万二千九百十八人について、之れを、職業別にすれば、即ち次表の示すが如き結果になる。(朝鮮総督府調査)
|
生産高に対する百分率 |
地価に対する百分率 |
||||||
|
総数 |
内地人 |
朝鮮人 |
外国人 |
総数 |
内地人 |
朝鮮人 |
外国人 |
農業、林業、牧畜業 |
14,785,426 |
41,225 |
17,739,815 |
4,386 |
84.71 |
11.21 |
86.40 |
16.91 |
漁業及製塩業 |
215,665 |
11,722 |
203,932 |
11 |
1.24 |
3.19 |
1.20 |
- |
工業 |
391,828 |
60.570 |
327.807 |
3,451 |
2.24 |
16.47 |
1.92 |
13.30 |
商業及交通業 |
1,106,403 |
121,042 |
971,195 |
14,166 |
6.33 |
32.94 |
5.69 |
54.61 |
公務及自由業 |
425,770 |
110,297 |
314,108 |
1,365 |
2.44 |
30.00 |
1.84 |
5.30 |
其他の有職業者 |
267,824 |
16,579 |
348,805 |
2,440 |
2.13 |
4.51 |
2.04 |
9.41 |
無職業及職業を申告せざるもの |
160,002 |
6,183 |
153,696 |
123 |
0.91 |
1.68 |
0.91 |
0.47 |
合計 |
17,452,918 |
367,618 |
17,059,358 |
25,942 |
100.00 |
100.00 |
100.00 |
100.00 |
然らば、経済的組織の変動が農業の発達を促し、これが影響して田舎人口に剰余を生ぜしめ、勢ひ農民をして土地より離別するに到らしめしやと云ふに、之れに対しても疑義なきを得ず。朝鮮に於ける農法は併合以来非常なる進歩をなし、経済主義的に労力の節約もなし得たれども、同時に二百万町歩以上の未墾地は開拓され、副業の奨励も之に伴ひて施され、農民の勢力は昔日より過剰せりとの結論に到達し得られざるのみか、南鮮の或地方の如きは、農繁期には朝鮮人労働者を内地より逆輪入する状態にある事、前章に述べたるが如きである。唯、遺憾なるは朝鮮に於ける資金の欠乏にして、未墾地あれども水利悪しく、人工的に水利を按配せんとするも、公共事業の資金にも年一割以上の高利を支払はざる可からざる状態にあり、未だ、集約農法も行ふに由なく、天産余りに豊かならざる朝鮮は、利潤の如何のみに因りて、投資を諾否する一般資本家、企業家より、此の方面の利益少なき事業に対しては、疎んぜられて顧みられざる事である。
二 牽引的原因 朝鮮土民の生活に比して、内地生活の有する真実なる、又は、妄想的なる便益を朝鮮人農民に感ぜしめ、彼等を刺戟して、日本内地に住居せんが為に居村を去らしむる諸原因にして、重に経済的方面に強い誘引力を持つ事を常とするも、個人主義的解放の要求と云ふが如き、非経済的方面の動機を持つ事も勿論である。
牽引的の経済的原因として首位にあるものは、内地に於ける朝鮮人の労働賃金が、朝鮮に於ける朝鮮人の労働賃金と比較して著しく高い事である。元来都市に於ける生活費は、外見上田舎に於けるそれよりも大なるが如く見ゆれど、実際に於て然らざる事が多いが如く、生活必需費が収入に対する割合は、朝鮮よりも内地の方が却つて低いのである。
朝鮮人の労銀が、朝鮮と内地との間に、何の位差異があるかを、比較研究せんに、即ち、次の如き関係となる。
(内地及朝鮮に於ける朝鮮人労働賃金比較表) (大正十一年中平均熟練職工労銀) 一、農事に関するもの
|
内地 |
朝鮮 |
円 |
円 |
|
農作夫 |
1.64 |
.92 |
農作婦 |
.87 |
.56 |
植木職 |
○3.21 |
1.62 |
漁夫 |
○2.83 |
1.70 |
二、元料身装に関するもの
|
内地 |
朝鮮 |
円 |
円 |
|
染物職 |
1.90 |
1.25 |
洗濯職 |
1.80 |
1.20 |
洋服裁縫職 |
○3.22 |
2.30 |
靴職 |
○2.78 |
1.90 |
理髪職 |
1.98 |
1.24 |
三、飲食物製造に関するもの
|
内地 |
朝鮮 |
円 |
円 |
|
杜師 |
月賄 ○60.42 |
月賄 26.00 |
醤油製造職 |
月賄 ○40.00 |
月賄 20.20 |
煙草製造職 |
1.61 |
.92 |
四、建築に関するもの
|
内地 |
朝鮮 |
円 |
円 |
|
家作 |
○3.50 |
2.17 |
船造 |
○3.78 |
2.17 |
左官 |
○3.60 |
2.35 |
石工 |
○4.00 |
2.40 |
家根葺 |
○3.71 |
1.96 |
瓦葺 |
○4.17 |
2.50 |
煉瓦積 |
○4.11 |
2.59 |
煉瓦造 |
○3.30 |
1.80 |
五、器具製造に関するもの
|
内地 |
朝鮮 |
円 |
円 |
|
指物 |
○3.70 |
2.20 |
建具 |
○3.70 |
2.20 |
表具師 |
○3.30 |
2.00 |
桶工 |
○3.10 |
1.70 |
車製造職 |
○3.51 |
1.97 |
鍛冶職 |
○3.26 |
1.91 |
錻力トタン職 |
○3.26 |
1.95 |
鋳物職 |
○3.24 |
1.92 |
金銀細工職 |
○3.00 |
1.97 |
彫刻 |
○3.02 |
2.00 |
六、雑
|
内地 |
朝鮮 |
円 |
円 |
|
活版植字 |
○2.20 |
1.10 |
鳶人足 |
○2.50 |
1.60 |
手人足 |
1.70 |
.90 |
土方 |
2.30 |
1.30 |
人力車夫 |
3.00 |
2.50 |
仲仕 |
2.50 |
1.60 |
坑夫 |
2.20 |
1.30 |
職工 |
1.80 |
1.10 |
ペンキ塗職 |
○2.80 |
2.20 |
店員 |
月賄 15.00 |
月賄 7.00 |
海員 |
1.50 |
1.00 |
雑役 |
1.20 |
.70 |
下男 |
月賄 18.78 |
月賄 11.20 |
下女 |
月賄 13.30 |
月賄 6.72 |
表中○印は内地に於ける朝鮮人労銀不明に付内地人の平均労銀を掲げたり
月、は月給 賄、は賄付
近来課程労働に従事するもの多く為めに実収入は表よりも多きを普通とす
右の表が説明する如く、内地と朝鮮とに於ては朝鮮人の労銀に五割以上の相違がある。而して、朝鮮人の食費(宿泊料を含む)は、内地に於ては、普通一日六拾五銭、朝鮮に於ては、普通一日五拾銭(但、都会)である。故に、収入に於て五割以上を増し、生活必需費に於て三割より増さないのであるから、結局二割以上の剰余を生ずる事になるのである。加ふるに、内地生活の愉楽、(少くとも朝鮮人労働者にとりては向上された文化的生活である)及び人格的自由を享有し得るてふ事は、いやが上にも朝鮮人農民を熱狂せしめ、盲目的に殆んど爾余の考へもなく内地へ向はせしめるのである。
以上経済的原因の外に、内地来住の強い精神的原因となれるもの、実に、帰郷人の誇張的宣伝である。内地に来住して帰鮮する朝鮮人労働者は、其土産話に、自らが内地に在つて苦るしい生活をしたことを口にしない。彼等は、恰も、凱旋将軍の如く威風堂々として、兵を語るのである。たとへ、無一文で帰つた者すらも、金を残さなかつたのは、浪費したからだ、と謂ふ風に、文化に浴する事少ない朝鮮農民の前に、内地文化の絢爛たるところを説くのである。内地に来住すること二ヶ年の一朝鮮人青年が、帰郷して、朝鮮語は忘れたといつて朝鮮語を話き(ママ)ず、朝鮮食を喫せず、朝鮮服を纏はざりしが如き極端な例もある。調査者が今夏本調査上の必要より朝鮮を旅行せし際も、内地より帰鮮する朝鮮人労働者は、何れも軽装なる浴衣着に下駄を穿ち、指に金色の指環を輝かせて、一見内地人と異なる事なき服装で、意気揚々たるものであつた――文明の恩沢より遠く離れて生活する朝鮮田舎農民の耳目は如何に誘惑されやう――内地出稼者の巧言美辞、及び内地出稼者中の極少数の小成金の土産話は、実に、大きな勢ひを以て、彼等を内地へ引き寄せるのである。
次に、朝鮮人労働者の移住は、地理的に大きな関係を持つて居る。彼等の半島外への移住は、概略、短距離運動である。内地来住朝鮮人について、其れを出身道別に分類すれば、内地に最も近き、慶尚南北道、全羅南北道の出身者多数にして、一方、間島、西伯利方面への移住者は、咸鏡南北道、平安南北道の出身者多数を占むることを表はして居る。尤も、朝鮮人が南鮮と北鮮と人情を異にし、南鮮人のあるところへ北鮮人が交るを好まず、同時に北鮮人の許へ南鮮人の行くを欲せざる旧慣が、多少の影響を与へ居るならんも、其根本は彼等移住者の近距離運動の実際化に外ならないのである。茲に、内地来住の朝鮮人中、出身道の判明せるものにつき府県別に統計すれば、七万二千八百十五人中に於て、慶尚南道の二万八千六百二十八人、慶尚北道の一万千四百四人、全羅南道の一万八千五十人、全羅北道の三千三百三十二人の如く、南鮮人が最大多数を占むることを、次表が説明して居る。
但、北海道及樺太の来住者は、内地を北へ縦行せしものと、西伯利を経由して来住せしものとの両者を含むのであつて、内地の他地方に比較して、是等の地方に北鮮人の多きは西伯利より移住せし朝鮮人のある事を意味するものである。(七四頁参照)
本籍道別 |
計 |
調査月日 |
|||||||||||||
全南 |
全北 |
慶南 |
慶北 |
忠南 |
忠北 |
京畿 |
江原 |
黄海 |
平南 |
平北 |
咸南 |
咸北 |
|||
福岡県 |
2,374 |
1,967 |
3,032 |
1,766 |
692 |
288 |
166 |
364 |
266 |
180 |
168 |
35 |
21 |
11,049 |
3月末日 |
長崎県 |
267 |
41 |
952 |
329 |
30 |
24 |
50 |
25 |
3 |
13 |
3 |
10 |
3 |
1,750 |
7月末日 |
佐賀県 |
107 |
14 |
231 |
185 |
42 |
26 |
20 |
4 |
16 |
6 |
- |
1 |
- |
652 |
- |
大分県 |
124 |
32 |
843 |
272 |
12 |
25 |
13 |
1 |
20 |
7 |
4 |
- |
1 |
1,354 |
- |
鹿児島県 |
31 |
10 |
95 |
37 |
2 |
14 |
4 |
- |
1 |
12 |
3 |
- |
1 |
210 |
- |
沖縄県 |
2 |
- |
4 |
2 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
8 |
- |
徳島県 |
40 |
- |
115 |
34 |
8 |
3 |
5 |
5 |
- |
- |
- |
- |
- |
210 |
- |
高知県 |
28 |
1 |
95 |
37 |
6 |
1 |
16 |
2 |
- |
- |
- |
- |
- |
186 |
9月10日 |
香川県 |
32 |
7 |
140 |
52 |
5 |
5 |
9 |
8 |
4 |
1 |
1 |
- |
- |
264 |
- |
山口県 |
491 |
155 |
2,271 |
1,382 |
90 |
92 |
214 |
47 |
15 |
74 |
21 |
13 |
7 |
4,872 |
6月末日 |
兵庫県 |
500 |
171 |
3,806 |
624 |
76 |
36 |
130 |
41 |
18 |
29 |
6 |
64 |
1 |
5,502 |
6月末日 |
島根県 |
25 |
14 |
377 |
268 |
10 |
9 |
6 |
4 |
2 |
- |
- |
21 |
- |
736 |
8月末日 |
大阪府 |
11,352 |
546 |
6,425 |
2,013 |
439 |
132 |
530 |
217 |
67 |
55 |
29 |
144 |
35 |
21,984 |
9月末日 |
京都府 |
751 |
114 |
1,895 |
829 |
139 |
48 |
120 |
105 |
11 |
21 |
16 |
44 |
22 |
4,115 |
9月末日 |
和歌山県 |
71 |
52 |
741 |
197 |
15 |
6 |
5 |
6 |
- |
1 |
- |
- |
1 |
1,095 |
- |
滋賀県 |
152 |
17 |
371 |
116 |
34 |
- |
6 |
12 |
6 |
- |
3 |
2 |
1 |
720 |
- |
静岡県 |
229 |
19 |
627 |
309 |
68 |
53 |
71 |
28 |
2 |
7 |
7 |
5 |
1 |
1,426 |
9月末日 |
愛知県 |
382 |
53 |
1,362 |
581 |
168 |
45 |
198 |
40 |
17 |
15 |
10 |
9 |
2 |
2,882 |
8月末日 |
福井県 |
18 |
6 |
198 |
155 |
1 |
2 |
17 |
3 |
5 |
4 |
1 |
6 |
- |
416 |
3月末日 |
富山県 |
69 |
10 |
477 |
383 |
20 |
9 |
11 |
15 |
1 |
2 |
3 |
- |
1 |
1,001 |
9月20日 |
新潟県 |
194 |
55 |
1,743 |
627 |
59 |
46 |
106 |
42 |
2 |
4 |
3 |
2 |
1 |
2,884 |
- |
東京府 |
452 |
158 |
1,077 |
526 |
151 |
152 |
325 |
103 |
128 |
159 |
120 |
157 |
101 |
3,609 |
9月末日 |
栃木県 |
1 |
2 |
61 |
12 |
2 |
1 |
5 |
4 |
3 |
1 |
2 |
2 |
- |
96 |
10月25日 |
茨城県 |
25 |
2 |
127 |
39 |
5 |
2 |
9 |
3 |
1 |
- |
4 |
1 |
- |
218 |
10月20日 |
秋田県 |
3 |
- |
32 |
6 |
- |
- |
3 |
- |
- |
1 |
3 |
2 |
2 |
52 |
6月末日 |
山形県 |
6 |
2 |
24 |
48 |
2 |
2 |
8 |
21 |
2 |
1 |
5 |
4 |
- |
125 |
9月末日 |
青森県 |
9 |
28 |
22 |
2 |
- |
1 |
6 |
2 |
- |
1 |
- |
2 |
1 |
74 |
9月末日 |
宮城県 |
24 |
5 |
50 |
22 |
5 |
6 |
11 |
14 |
- |
4 |
5 |
12 |
- |
158 |
- |
岩手県 |
25 |
- |
78 |
38 |
1 |
- |
4 |
- |
- |
19 |
2 |
7 |
15 |
189 |
- |
福島県 |
31 |
9 |
223 |
69 |
5 |
8 |
24 |
18 |
5 |
10 |
7 |
12 |
3 |
424 |
9月1日 |
北海道 |
182 |
100 |
938 |
381 |
108 |
52 |
213 |
272 |
91 |
182 |
112 |
446 |
209 |
3,286 |
11月5日 |
樺太 |
53 |
12 |
196 |
63 |
25 |
20 |
90 |
126 |
40 |
104 |
134 |
260 |
145 |
1,268 |
11月末日 |
計 |
18,050 |
2,332 |
28,628 |
11,404 |
2,220 |
1,108 |
2,395 |
1,532 |
726 |
913 |
672 |
1,261 |
574 |
72,815 |
|
備考 調査年は大正十二年
調査月の記入なきものは調査月日の報告なかりしもの
反対に、間島方面の移住者につきて、其れを出身道別に統計せば、最も近距離にある咸鏡南北道、平安南北道の北鮮人最大多数を占むるに反して、内地に来住する南鮮人の少きことを次表に物語つて居る。
(併合以後外国移住朝鮮人累年比較表) 朝鮮総督府警務局
京畿 |
忠北 |
忠南 |
全北 |
全南 |
慶北 |
慶南 |
黄海 |
平南 |
平北 |
江原 |
咸南 |
咸北 |
計 |
||
自明治43年6月 至大正元年12月 |
北間島 |
91 |
7 |
18 |
- |
4 |
- |
259 |
34 |
90 |
80 |
116 |
939 |
22,635 |
24,273 |
西間島 |
165 |
22 |
- |
- |
- |
5,116 |
2,691 |
36 |
270 |
2,283 |
1,311 |
410 |
6,841 |
19,145 |
|
其他 |
39 |
56 |
- |
1 |
1 |
59 |
15 |
2 |
18 |
453 |
5 |
976 |
4,729 |
6,354 |
|
計 |
295 |
85 |
18 |
1 |
5 |
5,175 |
2,965 |
72 |
378 |
2,816 |
1,432 |
2,325 |
34,205 |
49,772 |
|
大正2年 |
北間島 |
54 |
- |
- |
- |
- |
132 |
35 |
204 |
147 |
80 |
376 |
2,297 |
4,877 |
7,202 |
西間島 |
44 |
284 |
6 |
- |
- |
3,125 |
1,601 |
151 |
310 |
2,187 |
645 |
266 |
690 |
9,312 |
|
其他 |
13 |
- |
3 |
- |
- |
32 |
28 |
13 |
29 |
230 |
- |
543 |
1,192 |
2,083 |
|
計 |
111 |
284 |
9 |
- |
- |
3,289 |
1,667 |
368 |
486 |
2,497 |
1,021 |
2,106 |
6,759 |
18,597 |
|
大正3年 |
北間島 |
8 |
- |
2 |
- |
4 |
51 |
3 |
2 |
16 |
1,193 |
69 |
575 |
4,519 |
6,442 |
西間島 |
21 |
- |
- |
- |
- |
254 |
11 |
67 |
40 |
463 |
181 |
267 |
634 |
1,938 |
|
其他 |
38 |
- |
- |
- |
- |
28 |
20 |
1 |
27 |
143 |
13 |
793 |
1,188 |
2,251 |
|
計 |
67 |
- |
2 |
- |
4 |
333 |
34 |
70 |
83 |
1,799 |
263 |
1,635 |
6,341 |
10,631 |
|
大正4年 |
北間島 |
2 |
- |
- |
- |
1 |
15 |
- |
60 |
43 |
123 |
30 |
419 |
4,350 |
5043 |
西間島 |
7 |
- |
- |
- |
1 |
112 |
32 |
48 |
207 |
5,359 |
43 |
159 |
89 |
6,057 |
|
其他 |
29 |
- |
- |
- |
- |
3 |
78 |
29 |
34 |
3 |
17 |
814 |
1,174 |
2,181 |
|
計 |
38 |
- |
- |
- |
2 |
130 |
110 |
137 |
284 |
5,485 |
90 |
1,392 |
5,613 |
13,281 |
|
大正5年 |
北間島 |
6 |
23 |
- |
2 |
- |
11 |
1 |
57 |
112 |
55 |
31 |
161 |
3,749 |
4.208 |
西間島 |
16 |
1 |
- |
- |
- |
102 |
190 |
54 |
127 |
3,433 |
19 |
183 |
883 |
5,008 |
|
其他 |
73 |
9 |
10 |
3 |
30 |
21 |
- |
66 |
212 |
898 |
127 |
797 |
1,039 |
4,285 |
|
計 |
95 |
33 |
10 |
5 |
30 |
134 |
191 |
177 |
451 |
4,386 |
177 |
1,141 |
6,671 |
13,501 |
|
大正6年 |
北間島 |
3 |
1 |
-0 |
1- |
- |
11 |
- |
65 |
200 |
162 |
87 |
429 |
6,760 |
7,718 |
西間島 |
19 |
99 |
- |
- |
- |
149 |
524 |
54 |
152 |
2,532 |
7 |
512 |
947 |
4,995 |
|
其他 |
142 |
3 |
24 |
1 |
25 |
120 |
263 |
79 |
322 |
2,797 |
51 |
819 |
1,552 |
6,198 |
|
計 |
164 |
103 |
24 |
1 |
25 |
280 |
787 |
198 |
674 |
5,491 |
145 |
1,760 |
9,259 |
18,911 |
|
大正7年 |
北間島 |
69 |
123 |
- |
15 |
16 |
470 |
28 |
452 |
784 |
420 |
492 |
1,269 |
9,705 |
13,843 |
西間島 |
91 |
37 |
13 |
4 |
14 |
4,854 |
1,283 |
172 |
883 |
8,680 |
1,888 |
656 |
1,020 |
19.595 |
|
其他 |
118 |
9 |
1 |
6 |
171 |
34 |
93 |
62 |
126 |
79 |
66 |
554 |
1,870 |
6,189 |
|
計 |
278 |
169 |
14 |
25 |
201 |
5,358 |
1,404 |
686 |
1,793 |
9,179 |
2,446 |
2,479 |
12,595 |
36,627 |
|
大正8年 |
北間島 |
208 |
140 |
27 |
4 |
20 |
1,022 |
156 |
1,221 |
2,274 |
420 |
1,062 |
502 |
4,707 |
11,763 |
西間島 |
19 |
78 |
- |
9 |
- |
9,778 |
3,408 |
431 |
1,449 |
7,998 |
719 |
134 |
1,349 |
15,372 |
|
其他 |
163 |
34 |
11 |
34 |
51 |
98 |
348 |
236 |
1.264 |
1.695 |
84 |
966 |
2.225 |
7.209 |
|
計 |
390 |
252 |
38 |
47 |
71 |
10,898 |
3,912 |
1,888 |
4,987 |
10,113 |
1,865 |
1,602 |
8,281 |
44,344 |
|
大正9年 |
北間島 |
112 |
57 |
7 |
30 |
28 |
256 |
128 |
1,477 |
1,144 |
863 |
2,055 |
463 |
1,714 |
8,333 |
西間島 |
15 |
26 |
1 |
- |
- |
917 |
511 |
337 |
843 |
3,512 |
267 |
320 |
486 |
7,235 |
|
其他 |
175 |
30 |
33 |
20 |
42 |
117 |
150 |
438 |
584 |
1,738 |
104 |
509 |
2,702 |
6,642 |
|
計 |
302 |
113 |
41 |
50 |
70 |
1,290 |
789 |
2,52 |
2,571 |
6,113 |
1,426 |
1,291 |
4,902 |
22,210 |
|
大正10年 |
北間島 |
244 |
2 |
18 |
4 |
22 |
124 |
63 |
249 |
728 |
119 |
1,034 |
174 |
2,277 |
5,058 |
酉(ママ)間島 |
12 |
- |
2 |
1 |
24 |
346 |
305 |
32 |
620 |
640 |
92 |
31 |
318 |
2,423 |
|
其他 |
242 |
6 |
43 |
24 |
139 |
62 |
117 |
165 |
672 |
839 |
272 |
1,400 |
1,691 |
5,672 |
|
計 |
498 |
8 |
63 |
29 |
185 |
532 |
485 |
446 |
2,020 |
1,598 |
1,398 |
1,605 |
4,286 |
13,153 |
|
大正11年 |
北間島 |
300 |
12 |
1 |
2 |
3 |
121 |
11 |
248 |
369 |
14 |
897 |
249 |
2,868 |
5,096 |
西間島 |
14 |
1 |
- |
- |
- |
760 |
208 |
33 |
203 |
68 |
45 |
92 |
285 |
1,710 |
|
其他 |
332 |
31 |
83 |
15 |
56 |
131 |
151 |
137 |
357 |
119 |
163 |
817 |
861 |
3,253 |
|
計 |
646 |
44 |
84 |
18 |
59 |
1,012 |
370 |
418 |
929 |
201 |
1,105 |
1,159 |
4,014 |
10,059 |
|
計 |
北間島 |
1,097 |
365 |
73 |
58 |
98 |
2,213 |
684 |
4,069 |
5,907 |
3,529 |
6,249 |
6,476 |
68,161 |
98,979 |
西間島 |
423 |
548 |
22 |
14 |
39 |
25,513 |
10,767 |
1,415 |
5,104 |
37,155 |
5,217 |
3,031 |
13,542 |
100,790 |
|
其他 |
1,364 |
178 |
208 |
104 |
515 |
705 |
1,263 |
1,228 |
3,645 |
8,994 |
902 |
8,988 |
21,223 |
49,317 |
|
計 |
2,884 |
1,091 |
303 |
176 |
652 |
28,431 |
12,714 |
6,712 |
14,656 |
49,678 |
12,368 |
18,495 |
102,926 |
251,086 |
備考 本表中「其の他」は西、北間島以外(重に西伯利)の地方を示す
本表は併合以来を掲上す
移住後予期に反し生活困難に陥り却つて鮮内地に居住するを優れりとし或は其の他の事情に依りて帰還せる者左の如し
大正元年 |
大正2年 |
大正3年 |
大正4年 |
大正5年 |
大正6年 |
大正7年 |
大正8年 |
大正9年 |
大正10年 |
大正11年 |
合計 |
7,572 |
2,428 |
1,800 |
3,956 |
8,064 |
6,169 |
5,936 |
4,141 |
10,285 |
8,108 |
7,630 |
66,089 |
別に、第十一師団駐屯区域地方に於ける、移住朝鮮人の戸口調査表を掲ぐれば、即ち、次表の如くである。此調査表は、前比較表の、「其他」の部の中、西伯利地方在住者であるが、こゝにも、等しく、北鮮出身者が多数を占めて居るのである。
(第十一師団駐屯区域地方朝鮮人戸数人口調査表) 師団司令部(大正十二年三月)
戸数 |
人口 |
帰化 |
非帰化 |
道別 |
|||||||||||||||
男 |
女 |
計 |
咸南 |
咸北 |
平南 |
平北 |
黄海 |
江原 |
京畿 |
忠南 |
忠北 |
慶南 |
慶化(ママ) |
全南 |
全北 |
||||
尼市々内 |
548 |
1,457 |
1,123 |
2,580 |
447 |
2,133 |
61 |
2,458 |
15 |
24 |
1 |
6 |
10 |
1 |
2 |
- |
2 |
- |
- |
荒坪附近 |
243 |
733 |
643 |
1,376 |
- |
1,376 |
64 |
1,296 |
5 |
6 |
2 |
3 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
長賊嶺階(ママ)近 |
174 |
526 |
456 |
982 |
6 |
976 |
60 |
908 |
6 |
7 |
- |
- |
1 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
二次営附近 |
96 |
271 |
229 |
500 |
- |
500 |
11 |
489 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
車巨隅附近 |
448 |
1,338 |
1,110 |
2,448 |
43 |
2,405 |
339 |
1,969 |
39 |
52 |
9 |
26 |
6 |
- |
- |
6 |
- |
2 |
- |
シネロフカ附近 |
373 |
1,316 |
1,101 |
2,517 |
1,466 |
1,051 |
537 |
1,964 |
16 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
ブチロフカ附近 |
1,350 |
4,176 |
3,748 |
7,924 |
4,280 |
3,644 |
757 |
6,999 |
46 |
57 |
13 |
34 |
6 |
- |
- |
2 |
- |
5 |
5 |
ボルタフカ附近 |
677 |
2,143 |
1,781 |
3,924 |
82 |
3,842 |
811 |
2,739 |
128 |
125 |
13 |
62 |
10 |
- |
10 |
16 |
- |
10 |
- |
チエマコフ附近 |
251 |
643 |
598 |
1,241 |
- |
1,241 |
110 |
1,021 |
21 |
29 |
5 |
18 |
6 |
3 |
5 |
4 |
6 |
9 |
4 |
ラスドリノ附近 |
399 |
1,326 |
910 |
2,236 |
58 |
2,178 |
391 |
1,664 |
37 |
40 |
9 |
30 |
7 |
15 |
11 |
4 |
28 |
- |
- |
ギバリンフ附近 |
127 |
383 |
289 |
672 |
9 |
663 |
61 |
568 |
15 |
11 |
- |
15 |
- |
- |
- |
- |
- |
2 |
- |
グロテコーウオ附近 |
1,021 |
2,877 |
2,424 |
5,201 |
60 |
5,241 |
1,185 |
3,722 |
176 |
63 |
23 |
46 |
25 |
13 |
1 |
7 |
29 |
11 |
- |
ズビニンスキー附近 |
45 |
165 |
135 |
300 |
- |
300 |
37 |
257 |
6 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
イポリトフカ附近 |
227 |
755 |
601 |
1,358 |
328 |
1,030 |
67 |
1,176 |
6 |
3 |
1 |
5 |
1 |
- |
21 |
60 |
18 |
- |
- |
チエルニコフカ附近 |
460 |
1,317 |
1,042 |
2,359 |
- |
2,359 |
85 |
2,114 |
48 |
67 |
14 |
7 |
6 |
- |
1 |
2 |
15 |
- |
- |
スバスカヤ附近 |
636 |
1,946 |
1,596 |
3,541 |
92 |
3,449 |
326 |
2,967 |
20 |
41 |
3 |
38 |
13 |
32 |
21 |
38 |
11 |
21 |
11 |
クイニング附近 |
424 |
1,221 |
19,095 |
2,316 |
- |
2,316 |
336 |
1,559 |
174 |
126 |
- |
44 |
35 |
19 |
17 |
- |
- |
- |
6 |
スイヤギノ附近 |
91 |
299 |
214 |
513 |
- |
512 |
92 |
346 |
40 |
11 |
5 |
5 |
10 |
- |
3 |
- |
- |
- |
- |
ガリモンカ附近 |
311 |
1,263 |
529 |
1,792 |
380 |
1,412 |
395 |
1,378 |
- |
16 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
3 |
計 |
7,901 |
24,155 |
19,726 |
43,881 |
7,252 |
36,629 |
5,726 |
35(マ),59(マ) |
798 |
678 |
98 |
329 |
136 |
83 |
92 |
139 |
109 |
60 |
29 |
斯くの如く、朝鮮人労働者の人口的運動は、地理的に大きな関係を持つて居ることが明らかである。彼等の移住は、恰も、現代人口の都市集中と同過程を辿る傾向を顕して居る。殊に、朝鮮に於ける、急激なる同化政策と、一視同仁の宣伝は、内地に来住する朝鮮人労働者をして、外国へ移住する場合の如き不安を感ぜしむることなく、近距離にして、交通機関が完備し、旅費小なるが為め、貧困の下層民も容易に来住し得るてふ諸条件は、彼等をして、愈々、内地来住の要求を強くせしむるものである。
以上は、朝鮮人労働者が内地へ来住する諸原因中の主なるものであるが、要するに、其根本となれるものは、唯、一片の生活難と謂ふよりも、寧ろ、朝鮮人下層民が大いに覚醒し、其向上心が強まりたる結果に外ならざるものと思はれるのである。
第三章 労働状况
朝鮮人労働者は、何時頃から労働市場に現はれたか、其起原は非常に古いもので、併合以前に於て彼等は既に来住し、朝鮮飴売として相当の収益を挙げて居た。次に、朝鮮人参行商者として、相当の数を見せて居たが、労働者として一般に認識さるゝに至つたのは、大正四年頃からである。世界戦争中労働不足の期間にあつては、彼等来住者も殆んどすべてが消化されて居たが、大正十年末頃より彼等は漸く職を失ひ、人夫土方の職業へ駆逐さるゝやうになつたのである(第一章第二節参照)。彼等現在の労働状况は如何以下項を追つて説明しやう。
一 雇傭関係
朝鮮人の雇傭関係といつても、何にも、内地労働者と格別に異つたところはない。同人に、各種事業に於ける雇傭関係を一々調査する事は、当課編纂の工場労働雇傭関係及日雇労働者問題と重複するが故に、詳細は該調査報告を参照さるゝ事を希望して、此処に於ては、内地労働者の雇傭関係と幾分か異れる色彩を持つところを、述べることにしやう。
朝鮮人工場労働者の雇入は、初めはすべて自己志願であつた。彼等は勇敢に各工場を戸別的に、求職訪問をしたものであつた。次いで、当初雇傭されたものが、自分の朋友を紹介、就職させたものであつて、企業家の方から朝鮮人労働者を募集せし例は、甚だ稀である。彼等は自立して労働して居るが然し、一方、朝鮮人土方は組をなして労働するものが多い。大きい組は、三、四十人の労働者を擁し、組頭は部下を吾が家に下宿せしめ、労銀も組頭の手より支払はれる。仕事の都合で、遠隔の地に行くときは、組全部が移動するのであるが、其間統一を欠くこと夥しいものがある。小さい組になると、四、五人と云ふものもあるが、之れにも組頭はあつて、特権を振つて居る。中には、組全部が木賃宿住ひなどして居るものもある。其団結は、極めて薄弱で、朝に入って夕に去るてふ事実も、少くない、組頭は仕事に際し、部下を指揮、監督し、自らは直接労働に服せず、雇主の命を部下に伝へ、労銀の協定について直接雇主と交渉し、雇主より受取りたる労銀を部下に割当てるのである。其際、相当金額を自己の所得とするは勿論にして、組頭は丁度ブローカアのやうなものである。近来内地人土方の部室にも二三の朝鮮人労働者を見ないところはない、彼等は勿論土方として日々内地人に交りて、労働して居るものであるが、急に多数の手を必要とする際の如きは、朝鮮人土方、人夫の募集係として、重宝されて居るのである。
次に、朝鮮人労働者の労銀は如何と謂ふに、雇主は内鮮人共に最低労銀としては、変らないと謂つて居るが、それは朝鮮人成人労働者最低労銀を、内地人少年労働者の労銀と比較するからである。而も、最高労銀に於て著しく相違するを以て、平均労銀は、内地人のそれよりも、遥に、低廉である。一般に朝鮮人労働者は、自己の労銀額を徹底して主張しないから、狡猾な雇主よりは、多少宛行扶持的の待遇を受けて居る傾向がある。
左に、内鮮人青年労働者の労銀を比較せんに、
(内鮮人成年労働者労銀比較) (大正十二年六月迄平均)
|
朝鮮人 |
内地人 |
|||||
最高 |
普通 |
最低 |
最高 |
普通 |
最低 |
||
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
||
農作夫 |
1.70 |
1.60 |
1.20 |
2.20 |
2.00 |
2.00 |
|
農作婦 |
90 |
85 |
85 |
1.20 |
1.20 |
1.20 |
|
洗濯夫 |
1.90 |
1.80 |
1.00 |
2.70 |
2.00 |
1.00 |
|
色染工 |
1.90 |
1.20 |
80 |
2.80 |
2.10 |
90 |
|
メリヤス工 |
1.90 |
1.30 |
1.00 |
3.00 |
2.20 |
1.50 |
|
紡績工 |
2.00 |
1.20 |
90 |
2.80 |
1.70 |
1.00 |
|
硝子工 |
3.00 |
1.20 |
90 |
3.50 |
1.60 |
1.10 |
|
仲仕 |
2.50 |
2.00 |
1.70 |
3.00 |
2.50 |
2.00 |
|
人夫 |
1.70 |
1.70 |
1.00 |
2.00 |
1.90 |
1.80 |
|
土方 |
2.50 |
2.00 |
1.70 |
2.80 |
2.50 |
2.00 |
|
坑夫 |
2.30 |
2.10 |
1.60 |
3.00 |
2.50 |
1.80 |
備考 朝鮮人労働者は総ての紹介に対して手数料を請求する中間的に労働を紹介せしものにつきてもコミツシヨンを要求するのである彼等の実収は往々彼等に支払はれる金額よりも一割乃至二割の割引を見ることが稀でない
二 労働者としての朝鮮人
既述の如く、来住せる朝鮮人労働者の大多数は、朝鮮に於ける下層農民なるが為め、機械工業の労働者としては、直ちに、使役し能はざるものであるから、此処に於ては、現在朝鮮人労働者が主に従業なし居る労働に就いて、彼等の価値概観を述ぶる事とする。
茲に、参考として、朝鮮人労働者中、大多数を占むる、朝鮮人土方を、直接監督使役して居る一現場技術員の通信を掲載しやう。
(以下原文のまゝ)
(前略)只今当下水工事に従事せる鮮人と内地労働者との賃金の比較は大要左の通りであります。
|
円 |
円 |
|
内地土方 |
3.00 |
― |
2.20位 |
鮮人土方 |
2.50 |
― |
1.70位 |
一内地労働者に比し体質、気力に於て劣り躬行卒先して自己を啓発するの修養がないから従つて能率もあがらない其作業振りは至つて緩慢且つ微温的であるヨボ〳〵と云はれても仕方がない
一素質と云つても鮮人中最下等に属するものらしく其多くは文盲である筋肉労働者の要素たるべき鋭気闊達の気風は見るべくもない况して土方に必要な担ぎ荷(肩の力)の弱いことお話になりません、それだから一気呵勢の活動は不可能である
一個性か慣習か就業中蔭日なたを最る露骨にやる内地土方の様に親方に対する義務とか謝恩とかの観念は皆無である、彼等は働く為めに日中追ひ廻され叱り飛され、爪弾され蔑視されても尚俗に云ふ日中油を売る事に虎視眈々たるものがある内地労働者の希望する出来高労働で腕次第力詮議に多くの収入を得たいと云ふ観念もないらしい最も憎むべき通弊として自分に都合の悪い指揮命令の下らんか言語の不解を楯として「知らん」「分からん」の一点張りで白ラバツクレル事である斯くては彼等の前途は本能的に自滅の外はあるまい(以下省略)
以上は、朝鮮人の本来を理解せず、たゞ、内地労働者と対等なるものとして、直ちに、非難せし嫌ひあれども、而も、朝鮮人労働者の半面を物語るに充分である。
一般に、朝鮮人労働者は、自己の労務に責任を持たない。勿論、興味など持ちやうもない、たゞ、御役目的に動くのみである。従つて、活気がない、殊に、好悪乖逆、唯、利を以て相争ふの常習に至りては、殆んど、人格を認められて居ないと云はれて居るのである。加ふるに、廉恥心乏しく、不労所得を以て賢明なる行為となし、物を掠むるに大胆至極なるなど、等しく、社会の顰蹙するところであらう。
然れども、因襲的に虐げられ、歴史的の苛斂誅求に禍されての僻みたる性格と、イヂけたる生活は、一朝一夕に矯めらる可くもなく、卑屈と、不貞腐れは、彼等が未だ温情味に浴したる事なき、可憐なる彼等の過去を物語るものなるを思へば、唯、単に彼等を養ひ難きものとして、顧みる事なきは、余りに、新附の民に対する理解と、同情とを欠くものである。遮莫、彼等が内地労働者の忌避する、汚賎なる労働をも、案外苦にする事なく仕遂ぐるところは、労銀の低廉と併せて、彼等の長所として利用し得べきである。
事実に於て、朝鮮人労働者が土方、人夫、炭坑夫として、相当需要ある点を考ふれば、彼等が此方面に於て、将来を有す可く、現在土工工事と朝鮮人労働者は、影の形に伴ふが如く、全国到る処に分布され居るを思へば、彼等の価値も漸次認識されつゝありど、謂ふ可きである。彼等も土方として、其優秀なるものは、内地人土方と殆んど等しき技術を発揮して居る。彼らに進歩がないと云ふ事は出来ない、勿論、彼等が土方として自滅するより外はないと云ふ結論は、余りに、朝鮮人労働者の価値を知らざる言葉ではなからうか。土方稼業に必要なる担ぎ荷の弱き点は、彼等が幼時より慣らされし担軍(チゲ)(脊の力)の方法によりて、代理されやう。彼等は先天的に悪人ではない、彼等の悪癖は、彼等の肉体が亡ぶまで矯正出来ないものではなからう、指導の方法如何によりては、誠に温順なものである、使ひにくひと顧みないのは同情のないことではなからうか。
次に、朝鮮人労働者の団結力、労働組合的、及び親分子分的の関係に於て述んに、一民族が他民族間に移住するときは、移住せし民族の間には、自然的に、他民族に対して一種の攻守的団結がなりたつことは、歴史の証するところである。我が来住朝鮮人労働者間に於ても、此の団結は、種々の方面に観る事が出来るが、然し、朝鮮人労働者の団結は、区々縦断的にして、全体より見て、其の団結力は微弱なものである。例へば、一工場内に働く労働者、一工事場内にある仲間と云ふ程度のもので、他工場乃至他工事場に対してまで、横断的に、団結力のあるものはない。然のみならず、同じ工場内に於ても、持場を違ふれば、既に相互の交渉は薄くなるのである。彼等の団結は、要するに自己本位の団結であつて、自己および自己の最も近い周囲以外に拡大さるゝ事は甚だ稀である。彼等は未だ労働組合的のものを組織して居ない、同時に、相互扶助てふ観念には甚だ乏しい。大阪に於ても、朝鮮人同胞の福利を増進し、相互扶助救済を目的とする等、種々宏大なる理想を標榜して組織された組合は、当初より数ふれば七十余、現在二十三(大正十二年八月現在)あれども、何れも総会を催す事、僅に、二、三度にして解散し、而も、労働組合としての意義よりも、救済的機関たるの色彩濃く、労働組合としては何物もないと謂つて良いのである。又、親分、子分的の関係に於ても、内地労働者間に見らゝ超物質的のところは殆んどない。彼等は、所謂、刎頸の友と悲憤、慷慨する事は出来る。然し、大きな団体全部の為めに、自己を犠牲には出来ないらしい。否、小さい自己の利益を固守する事のみに、余りに、汲々として居るのである。然し、内地に於ける労資問題の不断的刺戟は、いづれ、近き将来に於て彼等も此点に覚醒する時が来るであらう。それでも、朝鮮人労働者は一般に従順である。彼等は内地人労働者と求めて抗争はしない。然し、一つの仕事を内地人と共同でやらせると、どうも、能率が挙らない。彼等は、彼等同志で働かす方が、結果に於て、却つて良好である。此点は、研究すべき価値あるところである。要するに、朝鮮人労働者は内地労働者と、求めて抗争はしないが、又、全然融和もして居ない。之れが彼等の現状である。
一般に、内地労働者は殆んど朝鮮人労働者を、労働者として価値なきものゝやうに取扱つて居るが、それは大きな眼鏡違ひである。朝鮮人労働者は、今や、孜々として内地労働者を模倣して居る。彼等は内地労働者の労働の価値其物を尊敬して、これに師事して居る。彼等の多くはよく隠忍して居る。若しも彼等がよく隠忍自重する其表面の態度を見て、直ちに、意気地なしと批評するならば、それは甚だ、軽卒と謂はなければならないのである。
第四章 生活状况
生活は人格を支配する根元ともなるものであるが、朝鮮人労働者の生活状態は、吾人の眼に映ずるところ、寔に、悲惨、其物である。殊に、食物の点に於ては、よくもあれで生存するに必要なる営養素を摂取さるゝものかはと、疑はざるを得ない程である。彼等は、飯と、塩と、野菜とで生きて居る。食ふ分量は多いが、副食物としては、朝は醤油、或は塩とで腹を拵へ、昼は漬物、(殆んど生の漬物)晩は油揚と野菜の煮付、或は、魚類の乾物位が関の山である。労働中彼等に根気がなく、闊達の風の見えざる等は、営養の不充分なる事が大きな一因をして居るものではなからうか。而も、草根木皮を或る期間常食とせざる可からざる程、虐げられたる彼等の過去生活の経験と、苦悩は、吾人の眼より見て、囚人よりも更に劣る現在の生活に、尚、汲々として彼等を生きて行かしめるのである。彼等は一様に冀つて居る、唯、金を得たいと、其獲得したる金を持ってどうしやうといふものでもないらしい。只、単に金を得ることのみを考へ、生活の改善、地位名誉に対する欲求などは殆んど問題として居ないらしく思はれる。少くとも、内地に居住する間は、金を残す其事のみによつて、彼等は満足出来るのである。それが為めには、体の営養も、衛生も、何んでも犠牲に出来る。眼前の利を見て走る彼等の習僻は、其源を、こゝから発するのではなからうか。世人は往々、渡来朝鮮人労働者は、酒と、賭博に、収入の全部を費やすものゝ如く考へて居るが、是れは、全体を穿つた観察ではない。勿論、多数の朝鮮人労働者の中には、酒を飲み、賭博に耽り、喧嘩騒擾を常とする、所謂、少数の不良鮮人がないではないが、彼等は、寧ろ、真面目なる朝鮮人労働者の力によりて、漸次淘汰されつゝあるが如き実状にあるのである。
要するに、彼等は彼等の収入の範囲内に於て、貯金或は送金して、而も、生活して行かうとして居る。彼等は、如何なる切りつめた生活でもやり兼ねない、然し、彼らの意気込がどうであらうが、やはり、最低限度と云ふものはなくてはならない。朝鮮人日雇労働者に、一ヶ月幾許あれば、生活なし得るや、と質問せしに、或者は八円と答へ、他は九円と謂つた。彼等は生活費として、食費を計上することのみによりて足れりとして居る。衣服、住居と云ふものについては、之れを、必要と認むるまでの余裕がないのである。勿論、病気などに対する予備費用等は考へて居ない。彼等の生活状態程、社会の文化より、とり残されたるものはなからう。人類愛の為めに、人格擁護の為めに、刑務所の内容でさへ、種々其目的に叶ふやう、国家の力を以て改善され、其施設に於て、相当保健と労働とを保証され居るに反し、彼等無辜の労働者が、働く可く汲々として、無益に職を求めて徨ひ、僅少なる収入に辛じて生きて行かねばならない社会の現状は、皮肉以上と謂はねばなるまゐ。
一 収入
朝鮮人労働者の収入は幾何なるや。之れを、各個人全般に渉つて調査する事は、殆んど不可能な事である。次の統計は、大正十二年八月中に於ける、大阪在住の朝鮮人土方一〇〇人、職工三〇人、日傭労働者二〇人につき実地調査せし個人の収入であつて、数に於て甚だ少く、又季節に於て彼等が最も暮らしよく、彼等の労働日数も比較的多かつたやうであるが、尚、彼等の収入の一斑を窺ふことが出来やう。
表中、土方の部に於て、月収七十五円以上は、すべて、土方の部室頭である。彼等は下宿営業をなす傍ら、下宿人を自己の配下として労働せしめ、而も、其等の日収の幾分かを口銭として所得するのである。来住朝鮮人職業中に於て、彼等程有利なるものはなからう。大阪府下に於ける、朝鮮人下宿業者は大正十二年六月末に於て、三百二十三人あるが、其中、収支償はず職業を止むなくせしもの、僅に、八月末迄に十六件、新らしく営業開始せしもの、四十三件に及ぶといふ有様である。
次に、職工は染色工場、硝子工場の職工により統計せしものにして、内地見習職工の部に属するもの、十人混り居る為め、平均収入に於て職工としては、多少低廉に過ぐる感あるも、一般朝鮮人工場労働者の平均収入としては、大凡表に現はれしものと大差はない。
日傭労働者は、定住所がないものが多かつた為め、甚だ、調査に困難を感じたが、内地で俗称する「立ちん坊」について、彼等の偽らざる告白を掲記したものである。
調査中調査者の不正確なる朝鮮語が禍して、徴税吏と間違へられたやうな滑稽場面もあつた。
(個人収入表) (大正十二年八月中)
土方(100人) |
職工(30人) |
日傭労働者(20人) |
|
人 |
人 |
人 |
|
自10円至15円 |
- |
- |
11 |
自15円至20円 |
12 |
6 |
3 |
自20円至25円 |
16 |
4 |
6 |
自25円至30円 |
6 |
10 |
- |
自30円至35円 |
11 |
7 |
- |
自35円至40円 |
17 |
- |
- |
自40円至45円 |
4 |
2 |
- |
自45円至50円 |
7 |
- |
- |
自50円至55円 |
13 |
1 |
- |
自55円至60円 |
5 |
- |
- |
自60円至65円 |
2 |
- |
- |
自65円至70円 |
- |
- |
- |
自70円至75円 |
- |
- |
- |
自75円至80円 |
1 |
- |
- |
80円以上 |
6 |
- |
- |
|
日 |
日 |
日 |
平均労働日数 |
21 |
25 |
16.2 |
|
円 |
円 |
円 |
平均1人1月収入 |
38.915 |
27.333 |
16.250 |
平均1人1日収入 |
1.853 |
1.093 |
1.003 |
備考 表中平均労働日数は実際労働日数を人数で除したるもの
平均一人一ヶ月の収入は総収入額を人数で除したるもの
平均一人一日の収入は平均労働日数を以て平均一人一ヶ月収入を除したるものなり
朝鮮人労働者の世帯としての収入は、彼等は、殆んど、大部分が単身労働者であるが故に、其例証に乏しきも、二、三世帯持の労働者が副業として、配偶の名によつて、営業なし居る下宿屋、飲食店についての収支出を、次節末に記載せしを以て、一応の参考を冀ふ次第である。
ニ 生活費
生活に対する支出の重なるものは、住、食、衣なるを以て、以下此順を追つて、述べんとするのである。
住………来住朝鮮人労働者の最も困難を感ずるは、住居を得るてふことである。一朝鮮人は、内地人が朝鮮人労働者に家を貸さないてふ事について、憤然として語る。
一視同仁とか、何とか、いつて表面は実に結構ですが、一般人の間に、朝鮮人が同一人格視されて居ないてふ事は、内地人が朝鮮人労働者に家を貸して呉れない一事によつても明らかである。其証拠は、日本語の上手な朝鮮人が、内地人の名前で家を借りに行くと貸して呉れる。其れだのに同じ其人間でも其れが朝鮮人と明ると、モウ貸さないんです。
内地人が一般に、朝鮮人労働者に家を貸すことを拒む事実は、往々見られる。或る家主に其理由を質問したのに対し、次のやうな返答を得たのである。
第一 朝鮮人労働者は家賃を払つて呉れない。もしも家を貸したら最後、二十人も、三十人もやつて来て、おまけに、不潔で家の掃除とか、手入をやらないから、家をいためることが多く、十年もつ家であつても四年位で駄目になります。ですから、仮令、家賃を二倍貰つても追つきません。
それのみでなく、一般に手癖が悪く、南京虫をわかしたり、大勢で騒々しいもんですから、近所の人がいやがります。
それで、私の方も営業ですから、家賃を払つて呉れなかつたり、家を荒されたり、おまけに、近所の人が迷惑して、転居されるやうじあ、困りますから、なるべく、朝鮮人労働者に貸したくはありません。
と云つて居る。来住朝鮮人労働者の中でも、唯、単に家を借り得たてふ一事で、成金になつたといふ話もある位である。即ち、家を借り得たものは、早速下宿屋をやる。さうすると、千客万来で、下宿人が殖江るといつたやうなものであつたのである。
実際内地来住朝鮮人九万五百十四人につき、戸数は六千九十三戸である。(一八頁統計参照)其中に戸数不明なる人員、七千六百六十二人あるを以て、之を差引して、尚、一戸当り、約一三・九人ばかりとなつて居る。来住者中、内地人と雑居する者を一割と看做し(一一九頁参照)ても、一戸当り、一二人近くなるのである。特に、大阪府下に於ては、内地人との雑居者一割を減じても、尚一戸当り、一七人強となるのである(一八頁統計参照)。大阪市内朝鮮人下宿屋二十家について調査(大正十二年八月)せしに、総畳数二百六十七畳に対し、下宿人五百七十九人ありて、一畳当り、実に、二、一七人弱になるのである。これは、調査時期が暑中なりし為めならんも、或下宿屋の如きは、押入も、椽側も、台所も、人を以て充されて居た事実もあつた。
朝鮮人労働者の居住場所は、一般に、各都市の接続町村に多い。所謂、都市の場末に彼等は多く居住して居る。東京市附近に於ける、品川、大崎、世田ヶ谷、戸塚、巣鴨、千住、三の輪の如き、大阪市近傍に於ける、今宮、鶴橋、豊崎町の如きは此例である。これは、前述の如く、朝鮮人労働者が住居を得るに非常に困難に感じ、地位的に、経済的に、勢ひ場末に住所を見付け、初めは、内地人の木賃宿に宿泊せしものなりしが、彼等の中の極少数者が、家を借る事に成功し、其処に、朝鮮人労働者が集りしものにして、借り得し家は場末に於ても、更に、甚だ、不便な位置で、一般的需要から離れたものであつたのである。而して、彼等が此場末に、集団部落を構成せしや、と云ふに、住居難は再び、茲に、彼等を部落的に集合せんとする傾向より、阻止して居るのである。勿論、一般民衆も住宅の不足を嘆つ現在、朝鮮人労働者が居住を得るに困難することは、あり得べき現象とも考へられるが、一方住むに家なく、野中に板とトタンにて小屋掛をなし、其中に止むなく住居する一部朝鮮人労働者の境遇については、一考を要するものがあると思はれるのである。
食………朝鮮人労働者は殆んど単身者である。此事実は前述の住居払底と結付けられて、彼等は大部分下宿生活をなし、一戸を構へて自活するものは甚だ稀れである。大阪附近に於ける、彼等の下宿料は普通、一日六十五銭であつて、最高八十銭以上を支払つて居るものは尠ない、だから、食物の内容としては、本章当初に述べしが如く、誠に、粗末なものであるが、彼等は内地にある材料によつて、出来るだけ、朝鮮風の料理をして居る。然し、彼等が等しく困難せることは、内地に於ては、朝鮮の唐莘(内地の唐莘に比して非常に大きく真紅にして内地産のもの程辛くない)を得難きことである。唐莘は朝鮮人の食物中不可欠のものである、されど、朝鮮唐莘は内地市場に現はれない、彼等は辛すぎる内地唐莘によつて、満足せしめらるゝことを、余儀なくされて居るのである。
衣………朝鮮人労働者は、一般に、衣服については頓着して居ない。彼等は、一般に、着換を持つて居ない。然し、彼等は異口同音に、着物を拵しらへるのであつたら、今度は、和服を拵しらへたい、と希つて居て、殆んど朝鮮服を着たい、といふものはない。彼等の中でも成功者は、種々和服を調製して居る。下駄は、一般に広く用ひられて居る。彼等は、確に、服装については、内地人と同様の希望を持つて居るものと、看做されるのである。然し、朝鮮人婦女子は、内地婦人の服装については、根本的に同化されないらしく、彼等は、朝鮮固有の服装を喜んで居る。これは、内地婦人の服装、が余りに、解放的であるてふ点に帰着するものらしく、厳格に謂へば、従来の内地婦人服装は、或は、朝鮮婦人の服装よりも、尚、実際的でないのではなからうか。
以上、衣、食、住の状態を一通り説明せしを以て、一般朝鮮人労働者考が、是等に対して、如何なる割合の支出をなし居るや、下に、支出表を掲げて、参考に供しやう。調査時期が暑中であり、被調査人員甚しく僅少である点より、全般を律し能はざるは勿論なれど、一般朝鮮人労働者が生活必需事項に対する支出の割合は、大略、窺知し得るのである。表中、被服に対する支出を、極力切詰め居る心持を表はせしものにして、生活費を極度に制限して、送金乃至貯金をなし居る有様は、彼等の心情を最も露骨に表現して居るものと、云ふ可きであらう。
(個人支出表) (大正十二年八月中)
|
月収平均35円 土方(27歳) |
月収平均28円 職工(30歳) |
月収平均20円 日傭人夫(43歳) |
下宿 |
19.500 |
(寄宿舎) 15.000 |
(廃船起居)食費 9.000 |
酒、タバコ |
7.000 |
- |
3.000 |
被服 |
- |
- |
- |
雑費(洗湯其他) |
2.000 |
- |
2.000 |
送金 |
5.000 |
10.000 |
- |
貯金 |
- |
2.000 |
(手許ニ)6.000 |
残金 |
1.500 |
1.000 |
- |
計 |
35.000 |
28.000 |
20.000 |
来住朝鮮人労働者の大部分たる単身者の生活状態は、上述の如くであるが、茲に、世帯者の収支を表に掲げて、参考を煩はさんとするのである。来住朝鮮人労働者の世帯者は、大抵、彼等の中の成功者であると同時に、世帯者は殆んど副業として、下宿営業か、飲食店の営業を経営して居る。次表も、戸主は労働者、主婦は副業の営業主である。月に大抵、営業上の貸が、一割乃至三割あつて、而して、これが損失となり終ることが、殊に、飲食店の方に多いさうである。それでも、中には可成りの貯へを残し、益々、営業の発展が明らかなものも多いやうである。(表は大正十二年八月中のもの)
例一
- 世帯の有様
|
主 |
土方(親分) |
|
妻 |
下宿営業主 |
|
子供 |
2人(共に男9歳と7歳) |
|
下宿人 |
41人(朝鮮人労働者) |
|
下男 |
2人(17歳と39歳朝鮮人) |
○収入
|
戸主収入 |
79.000 |
|
|
家族収入 |
682.500 |
|
|
計 |
761.500 |
|
|
外に当月掛貸 |
117.000 |
下宿料の不払に依る |
○支出
|
食料品 |
533.000 |
家族全部の費用 |
|
家賃 |
32.000 |
畳数23畳 |
|
被服 |
20.000 |
主人の洋服代 |
|
子供教育 |
1.000 |
9歳の小学生 |
|
主人小遣 |
20.000 |
|
|
雑 |
22.000 |
主婦小遣も含む |
|
雇人給料 |
33.000 |
2人分 |
|
計 |
661.000 |
|
○差引残額 |
100.500 |
|
例二
- 世帯の有様
|
主 |
硝子工場職工 |
|
妻 |
下宿営業主(但し内地の素人下宿と同様) |
|
下宿人 |
8人(主人と同一工場の硝子職工) |
○収入
|
戸主収入 |
28.000 |
|
家族収入 |
184.000 |
|
計 |
212.000 |
|
外に当月掛貸 |
19.000 |
○支出
|
食料品 |
140.000 |
家族全部の費用 |
|
家賃 |
16.000 |
畳数7畳半庭2坪 |
|
被服 |
3.000 |
主人の浴衣 |
|
主人小遣 |
6.000 |
|
|
雑 |
20.000 |
|
|
計 |
185.000 |
|
○差引残額 |
27.000 |
|
例三
- 世帯の有様
|
主 |
色染工場職工 |
|
妻 |
飲食店主 |
|
子供 |
1人(6歳) |
○収入
|
戸主収入 |
55.000 |
|
|
|
|
家族収入 |
104.000 |
|
|
|
|
内訳 |
|
|
|
|
|
酒、ビール、サイダア、ラムネ水、空瓶共 |
} |
36.000 |
||
|
牛豚等の臓物より製せし食物の売上 |
} |
35.000 |
||
|
魚類、乾物、果実 |
|
13.000 |
||
|
麹類其他 |
|
20.000 |
||
|
計 |
159.000 |
|
|
|
|
外に貸売掛 |
23.000 |
|
|
|
○支出
|
家族生活費 |
25.000 |
|
|
|
|
家賃 |
17.000 |
畳数8畳庭2坪強 |
|
|
|
営業費 |
61.000 |
|
|
|
|
内訳 |
|
|
|
|
|
酒、ビール、サイダア、ラムネ氷(ママ) |
} |
26.000 |
||
|
牛豚等の臓物 |
|
15.000 |
||
|
麺類其他 |
|
7.000 |
||
|
魚類、乾物 |
|
5.000 |
||
|
果実 |
|
3.000 |
||
|
其他調味料 |
|
3.000 |
||
|
器物破損補充 |
|
2.000 |
||
|
被服 |
4.000 |
|
|
|
|
雑費 |
20.000 |
家族の小遣等一切 |
|
|
|
計 |
127.000 |
|
|
|
○差引残高 |
32.000 |
|
|
|
三 教育
来住朝鮮人の教育程度は、実に、幼稚なものである。之れについての全国的統計を有せざるも、大正十二年四月末に於て、大阪府が、大阪府下在住朝鮮人一八、一九一人につきて調査せし報告によれば、其中、文盲者実に九、七九八人の多数である。尚、之れを細別すれば、次表の如き結果である。
(朝鮮人教育程度調)
区分 |
男 |
女 |
小計 |
|
合計 |
||
専門学校卒業又は同程度の学力あるもの |
{ |
内地語に熟せるもの |
6 |
- |
6 |
} |
6 |
稍々解せるもの |
- |
- |
- |
||||
全く解せざるもの |
- |
- |
- |
||||
中学校卒業又は同程度の学力あるもの |
{ |
内地語に熟せるもの |
26 |
1 |
27 |
} |
33 |
稍々解せるもの |
5 |
- |
5 |
||||
全く解せざるもの |
1 |
- |
1 |
||||
中学校2、3年程度の学力あるもの |
{ |
内地語に熟せるもの |
64 |
2 |
66 |
} |
107 |
稍々解せるもの |
18 |
- |
18 |
||||
全く解せざるもの |
23 |
- |
23 |
||||
高等小学校卒業程度の学力あるもの |
{ |
内地語に熟せるもの |
399 |
1 |
400 |
} |
641 |
稍々解せるもの |
161 |
2 |
163 |
||||
全く解せざるもの |
78 |
- |
78 |
||||
尋常小学校程度の学力あるもの |
{ |
内地語に熟せるもの |
779 |
51 |
830 |
} |
2,157 |
稍々解せるもの |
872 |
48 |
920 |
||||
全く解せざるもの |
351 |
56 |
407 |
||||
尋常小学校2、3年程度の学力あるもの |
{ |
内地語に熟せるもの |
898 |
49 |
947 |
} |
5,449 |
稍々解せるもの |
1,977 |
167 |
2,144 |
||||
全く解せざるもの |
2,164 |
194 |
2,358 |
||||
文盲者 |
{ |
内地語に熟せるもの |
493 |
57 |
550 |
} |
9,798 |
稍々解せるもの |
1,976 |
296 |
2,727 |
||||
全く解せざるもの |
4,931 |
2,045 |
6,976 |
||||
総計 |
{ |
内地語に熟せるもの |
2,685 |
161 |
2,826 |
} |
18,191 |
稍々解せるもの |
5,009 |
513 |
5,522 |
||||
全く解せざるもの |
7,548 |
2,295 |
9,843 |
当時の報告によれば、大阪府下来住朝鮮人一八、一九一人中、一六、〇〇〇人までは労働者であるから、朝鮮労働者の中で、尋常小学校卒業程度、或はそれ以上の学力を有するものは、誠に、僅少である。
茲に、本市教育部の調査になる、大阪市在住朝鮮人就学状况を掲ぐれば、全体を通じて、僅々、三六五人の少数に過ぎないのである。即ち、
(大阪市在住朝鮮人就学状况調) (大正十二年四月現在)
|
|
|
小学校 |
実業補習学校 |
合計 |
||||||||||
|
|
|
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ |
||||||||||||
区別 |
性別 |
尋常科 |
高等科 |
┏━━━━━┓ |
|||||||||||
|
|
|
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ |
┏━━━━━┓ |
1年 |
2年 |
計 |
||||||||
|
|
|
1年 |
2年 |
3年 |
4年 |
5年 |
6年 |
1年 |
2年 |
計 |
||||
西区 |
{ |
男 |
21 |
8 |
9 |
6 |
1 |
3 |
- |
- |
48 |
7 |
1 |
8 |
56 |
女 |
2 |
2 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
4 |
- |
- |
- |
4 |
||
南区 |
{ |
男 |
31 |
15 |
15 |
6 |
15 |
3 |
1 |
- |
86 |
11 |
- |
11 |
97 |
女 |
- |
1 |
3 |
1 |
- |
- |
- |
- |
5 |
- |
- |
- |
5 |
||
東区 |
{ |
男 |
1 |
2 |
3 |
1 |
1 |
|
|
|
8 |
8 |
- |
8 |
16 |
女 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
||
北区 |
{ |
男 |
3 |
5 |
9 |
2 |
10 |
3 |
- |
- |
32 |
16 |
2 |
18 |
50 |
女 |
- |
1 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
1 |
- |
- |
- |
1 |
||
計 |
{ |
男 |
56 |
30 |
36 |
15 |
27 |
9 |
1 |
- |
174 |
42 |
3 |
45 |
219 |
女 |
2 |
4 |
3 |
1 |
- |
- |
- |
- |
10 |
- |
- |
- |
10 |
備考 本表の外特別学級として収容せる者一三六名(北区)あり
又、之れを年齢別にすれば、次表の如き有様である。即ち、十六歳より二十歳迄の間に就学者が最も多い。
年齢別 |
小学校 |
実業補習 |
計 |
|
┏━━━━━┓ |
||||
|
男 |
女 |
|
|
7歳 |
8 |
- |
- |
8 |
8歳 |
3 |
1 |
- |
47 |
9歳 |
7 |
3 |
1 |
10 |
10歳 |
8 |
1 |
- |
9 |
11歳 |
9 |
1 |
- |
10 |
12歳 |
9 |
1 |
- |
10 |
13歳 |
11 |
2 |
- |
13 |
14歳 |
9 |
1 |
1 |
11 |
15歳 |
9 |
- |
1 |
10 |
16歳 |
22 |
- |
9 |
31 |
17歳 |
20 |
- |
3 |
23 |
18歳 |
13 |
- |
2 |
15 |
19歳 |
16 |
- |
5 |
21 |
20歳 |
11 |
- |
5 |
16 |
21歳 |
4 |
- |
4 |
8 |
22歳 |
4 |
- |
7 |
11 |
23歳 |
4 |
- |
3 |
7 |
24歳 |
- |
- |
2 |
2 |
25歳 |
2 |
- |
- |
2 |
26歳 |
1 |
- |
2 |
3 |
27歳 |
3 |
- |
1 |
4 |
28歳 |
1 |
- |
- |
1 |
29歳 |
- |
- |
- |
- |
30歳 |
- |
- |
- |
- |
計 |
174 |
10 |
45 |
229 |
備考 本表の外特別学級に収容せる者の年齢十二歳以上四十一歳迄のもの一三六名あり
次に、朝鮮人学齢児童につき就学状况を見るに、甚だ、遺憾なものである。是れに就きても、全国的の統計を作成し得ざりしが、大阪府、京郡府、兵庫県、大分県、島根県(以上の各府県は学齢児童の就学状况調査の報告に接せり)に於ける有様を見るに、最良の処に於ても、約半数の就学者より無き状態である。重なる事由は、彼等の家庭が、経済的に、児童教育の余裕なきことにもよらんも、大体に於て、保護者が児童教育をそれ程重要視せず、加ふるに、内地語に通ぜざる朝鮮人児童の大多数は、自らも、就学を欲せざる傾向がある。事実に於て、内地学齢児童と、朝鮮人学齢児童との間に、内地義務教育就学の初歩に於て、彼等が有する予備智識に大なる懸隔があり、同時に、朝鮮人児童が多数の内地人児童に混入するところに、一種の恐怖があるらしい。
|
就学者 |
未就学者 |
計 |
学齢児童1人に対する就学者の比 |
調査月日 |
大阪府 |
136 |
493 |
629 |
0.22 |
大正12年6月15日 |
京都府 |
19 |
25 |
44 |
0.44 |
同9月末 |
兵庫県 |
105 |
95 |
200 |
0.53 |
同6月末 |
大分県 |
105 |
11 |
19 |
0.42 |
同 |
島根県 |
18 |
3 |
4 |
0.25 |
同8月末 |
計 |
269 |
627 |
896 |
0.30 |
|
尚大阪府に於ける調査を、少しく、詳細に掲上すれば、
|
|
|
|
|
|
|
未就学の者 |
|
|
|
||||
|
|
|
|
|
|
|
┏━━━━━━━━┓ |
|
|
|
||||
|
満6歳以上14歳未満の者 |
同上中就学せるもの |
家庭の事情に依る者 |
不具廃疾のもの |
|
満6歳未満のもの |
||||||||
|
┏━━━━━┓ |
┏━━━━━┓ |
|
┏━━━━━┓ |
||||||||||
|
男 |
女 |
計 |
男 |
女 |
計 |
┏━━┓ |
┏━┓ |
|
男 |
女 |
計 |
||
|
|
|
|
|
|
|
男 |
女 |
男 |
女 |
計 |
|
|
|
大阪市計 |
137 |
37 |
174 |
55 |
8 |
63 |
82 |
29 |
- |
- |
111 |
87 |
68 |
155 |
郡部計 (堺岸和田市を含む) |
294 |
161 |
455 |
57 |
16 |
73 |
237 |
145 |
- |
- |
382 |
199 |
160 |
359 |
総計 |
431 |
198 |
629 |
112 |
24 |
136 |
319 |
174 |
- |
- |
493 |
286 |
228 |
514 |
上述の如く、朝鮮人の教育については、成すべき事が多々ある。品性陶冶の上に教育の必要不可欠なることは、今更、喋々多弁を費すの要はないが、特に、朝鮮人労働者に対しては、彼等を完全に同化融合させる上に、又、彼等を保護指導する上に、一層此方面の注意と、努力とを必要とするのである。
第五章 来住の結果
来住の成績を計る標準は、人により、見地を異にせんも、調査者は朝鮮人労働者の
(1)生活程度の向上及安定度
(2)成功と失敗
(3)内地社会との融合同化の程度
に因つて定めんとするものである。
一 一般の生活向上
来住朝鮮人労働者の生活は、前章に述べたるが如く、吾人の眼に映ずるところ、実に、惨じめなものである。然も、彼等は此生活に於ても、朝鮮内地にあるよりも良しとなし、帰鮮を欲するものは少い、調査者が、一、日傭労働者との問答中
仕事があるか、ないか、明らないし、大阪に居て、心細ひ生計をして居るよりも、朝鮮に帰つたらどうです。
と尋ねたのに対し、
大阪に居ても、朝鮮に居ても、くらしの苦しいのは同じことです。どうせ同じことだつたら、大阪の明るい町で、くらしたい。
と答へた。
来住者の中には、随分ひどい生計をして居るものも居るが、それでも貯へすらも持たずに、帰鮮することは、誰れしも欲しない。彼等は一般に、彼等の収入の範囲内にて、つゝましやかに生活することが出来るのである。前章に述べし、土方一〇〇人、織工三〇人、日傭労働者二〇人の収入を調査せしとき、送金も貯金もしないといふものは、土方に二二人、職工に四人、日傭労働者に一三人あるのみであつた。即ち、土方七八%、職工八六%、日傭労働者でさへ三〇%は、貯金或は送金をして居るのである。これを全般より見る時は、実に、七四%の貯金或は送金者を見るわけである。
一般より看て、来住朝鮮人労働者の生活は、朝鮮にある時よりも向上されて居ると謂ふことが出来る。彼等が内地社会の文化より受くる刺戟は、彼等本来の怠堕性に、確に、或る感応を与へて居る。朝鮮にある朝鮮人労働者と、内地にある朝鮮人労働者の眼色を比較するときに、彼等が、如何に、内地来住によりて、感受性を増したか、明らかに、認識することが出来るのである。来住朝鮮人は、金のある間は徒食なすてふが如き、怠堕性よりは、既に、離れて居る。彼等は将来に対して予備をする程、その日常生活に真面目さを持つて居る。同時に、彼等が彼等の生活に対して持つ、この緊張味は、一般に、彼等の生活を向上せしめたものである。
二、成功と失敗
来住朝鮮人労働者中の、成功者と失敗者を、全般に亘つて、厳密に統計する事は、殆んど、不可能なることなれば、茲には、其概観を述ぶるに止めやう。朝鮮人労働者は、殆んど無一物で、内地に来住するのであるから、彼等が其日のパンを得ることが出来れば、それのみで、既に、成功の部類にあるものと彼等は考へて居る。けれども、社会的に、相当人格者として待遇され居るものは僅少である。前章個人収入表に現はれし、上方一〇〇人、職工三〇人、日傭労働者二〇人、合計一五〇人の中、月収二〇円以下のもの、即ち、単身辛じて一ヶ月の食物を得る標準以下のものを失敗者とし、月収六〇円以上のものを成功者とすれば、失敗者は総数のニ一・三三%に当り、成功者は六%に相当するのである。其他は、朝鮮に於ての生活標準以上にあるものである。換言すれば、失敗者ニ一・三三%を除き、他の七八・六七%(前節に於ける貯金或は送金をなすもの七四%を比較)は、要するに、内地来住によつて、生活向上なし得たるものと看做すことが出来る。勿論、これは、来住朝鮮人労働者の朝鮮に於ける生活の標準を、辛じて、衣食し得る限度にとゞめたるものであるから、これを以て、来住朝鮮人の生活が向上されしものと結論するは、余りに、冒険であるが、尚、其一般を窺ふことが出来やう。又、労働者としてではなく、朝鮮飴、或は朝鮮人参行商によりて、成功なせしものもあり、其他、労働者たりしものが、成功後、転職せしものもあり、或は、又、相当成功の上、故郷に錦を着て帰つたものもあるから、実際労働者としての成功者も、パーセンテージの上から謂へば、増える訳である。
茲に、朝鮮人労働者が内地へ来住して、如何なる径路の下に、成功、或は、失敗したか、実際物語りを紹介して、普く参考に供せんとするのである。
これは二十九歳になる、某硝子工場の一職工の物語りである。
私は今、月収約八〇円位あります。家内と子供を先日国許から連れて来ました。只今私達仲間の職工を五人下宿させて居ります、而して、共に、倶に真面目に働かうと毎日話しあつて居ります。私が大阪へ参りましたのは大正八年の夏でございました。其時は既に沢山な同胞が大阪に来て居りました。私は朝鮮では百姓をして居りました。二十三のときに妻を娶りまして二十四のときに父親になりました。其翌年私は邑の者七人と共に日本へ来たのです、其中二人は鉱山の人夫になつて途中で別れました。それで大阪へは五人で来たのでした。一緒に来た中の一人が大阪に友達があつたものですから五人で其人の許に行きました。其人は下宿住居ひをして居たものですから私等もそこで下宿をしました。それから四日目に私は此工場に傭はれました。初お(ママ)は一日六拾銭でした。それでも下宿が五拾銭だつたものですから、毎日拾銭は残りました――酒や煙草ですか――私は酒も煙草もきらひです‥‥‥煙草は朝鮮では吸つて居ましたが、日本に来ていつの間にかよしました。さうして夜業があつたものですから、月に五円以上は残つて居ました。仕事は硝子製品を洗つたり運んだりすることでした。私はちつとも辛ひと感じた事がありませんでした。こうして居る間に冬が来ましたが日本の冬はほんとに暖かでした私は水の中に手を入れる事もそんなに苦しくはありませんでした。そのうちに内地人職工の仕事を手伝ふやうになりました。型を持つ事も出来るやうになりました。仕上げに廻つて吹管から切離された製品の手入をする事も出来るやうになりました。さうして三年ばかりの間に私は硝子器具製造について一通りの知識と経験を得ました‥‥‥丁度其時でありました此工場の人減しがありましたのは‥‥‥去年の三月のことなのです。私は主人に給料はどんなに安くてもいゝから使つて下さいと頼みました。其時の収入ですか――さうですね‥‥‥月に六拾円近くありましたでしやう、モウ受取りの仕事をして居たのですから。幸ひに、私はつゞけて使つてもらひました。収入は別段減りわしませんでした。今では吹工の仕事をして居ます。今後もこの仕事で立つて行く考へです、内地人の職工ですか‥‥‥皆んな親切にして呉れました。私は出来るだけ、をとなしく、どんな事があつても、怒らないやうに努めました、‥‥‥それは〳〵いろんな腹立しいやうな事も、泣きたいやうな事もなくはありませんでした。然し私は私等の同胞が何やかやと不平を云つたり、空威張をしたりするのを見ていつも、いやな気持がして居ました。私が一月中で一番楽しい日は給料をもらつて、其中か(マ)から(マ)妻子の許へ、幾らかの金を送つてやるときの、心持です。――毎月いくら位ひ送るかですつて――初めは五円か六円でした‥‥‥一年ばかりして十円位送れるやうになりました。それから直ぐに二十円位送れるやうになりました。一等沢山送つた月は五拾円送りました‥‥‥そんな事は四度かありませんでしたが。妻は四年ばかりの間に貳百七拾円からの貯金をして居りました。子供も大きくなつて居ました‥‥‥モウ六つです‥‥‥エゝ四年振りで今年始めて帰つたのです。両親も未だ丈夫で百姓をして居ます。子供は女ですが日本の学校へ上げて日本の教育をしてやります。未だ日本語がわからないんです、妻も知りません。私は早く妻や子に日本語を覚えさせたひと思ひます。エゝモウ私は内地で死にたい位内地が好きです。和服も持つて居ます‥‥‥妻のも子供のもこさへました。電車へ乗つてどこへでも行けます。妻も子供も喜んで居ます。私も幸福です。一緒に来た五人ですか‥‥‥皆んな相当にやつて居ります。晩に学校へ行つて勉強してるものも居ます‥‥‥土方になつて働いて金を送つて居るのもあります。皆んな真面目に自分達の仕事を一生懸命にやつて居ります。
この職工は、来住朝鮮人労働者中の成功者の一人と看るべきものであるが、彼の今日あるは、工場主が、特に、朝鮮人労働者を理解して指導せしことも、其、一因たるに相違なけれど、彼が良く隠忍自重して、職を励みしことが、彼の成功せし最大原因たりしことは、論を俟つまでもない。
次に、廃船内に起居して居る、一、日傭労働者の身の上話を紹介しやう。事実は往々にして小説以上に奇なることあるは、等しく、吾人の是認するところであるが、次の物語りなど、誠に、涙なくして聞く事は、おそらく、出来ないだらう。彼が日本語交りの朝鮮語で、ボツ〳〵話しだした事は、大凡、次のやうである。
私は今年四十二になります。日本に参りましたのは四十の年であります。お正月(旧暦)がすんで間もないときでありました。私には妻も子もあります‥‥‥(彼は此時眼に泪をたヽえて)‥‥‥オヽ私は四人の子供の親であります――一等大きいのが数へて見れば十六になります。私は朝鮮で農業をやつて居りました。――田舎では相当のくらしをして居たのです。私の隣りの面(内地の村)から日本に稼ぎに来て居る一人の若者がありました。彼は毎月拾五円貳拾円と送金して来るのでした。田舎で月に拾五円と謂つたらそれは.大したお金なのです。私は田舎で可成り巾をきかして居たものでしたが、たゞ生きて行くに差支へないといふだけで拾円の現金が毎月欠かさずあつた事はありません。私は此の事実に大いに刺戟されました。而して妻といろ〳〵相談して、いよ〳〵日本へ行かうと決心しました――妻が止めなかつたかと云はれるんですか――妻は初めは賛成しませんでした。然し勿論反対する理由もありません。妻が悲しんだのは、唯、離れて生活することがいやだから泣いたんです。私は私の決心と希望とを諄々と妻に説きました。而して持つて居た僅かな田地を六拾円の典当としました。私は妻に謂ひました‥‥‥六拾円位の金は毎月貳拾円づゝ送つたら三ヶ月で返却することが出来る、而して、私が五年位日本で稼いだら、毎月貳拾円宛送つたとしても、千円以上の金が残るじやあないか‥‥‥さうして、私達は、それこそ、ほんとに、幸福に、余生を楽むことが出来る‥‥‥現に隣り面のアノ若僧でさへ月貳拾円もをくるんだから俺だつたら四拾円はをくつてやることが出来る‥‥‥未来の為めに忍ばう。と私は勇み立つて六拾円の金を持つて馬に乗りました。停車場へ行くには、まる一日かゝるのです、妻や子供の家の前に佇むで、泣いて居る姿が今でもはつきりと浮びます‥‥‥
日本に来て船から降りた処(下関ならん)で働かうと思ひました。さうすると大阪へ行くと非常にいゝ仕事があるといつて朝鮮人がどん〳〵大阪へ行くものですから私も大阪へ来ました。汽車から降りて表へ出ましたら、そこに一人の朝鮮人が馴々しく私にお辞儀をしました。私は私の里(内地の字)の者でこゝに来て居るものが、私に挨拶するのかと思つて、其男の顔を見ましたが、見覚はありません。然し其男は一層馴々しい態度で――
よくいらつしやいました‥‥‥いゝ仕事が沢山にありますヨ‥‥‥
と云ふんです。私は其男の言葉を非常に嬉しく思ひました。さうして、何んにも考へずに其男と連立つて電車に乗りました。汽車の中で同行があつたらうとお尋ねになるのですか――それはありました。皆んな大阪へ行くと謂つて居りました。たゞ汽車の中で見知り合つたと云ふだけです。勿論私等は皆んな一緒に駅の構内を出たに違ひありません。然し、私は其男と共に電車に乗つてからも同行者のことを考へる余地を持たなかつたんです。其男の年ですか三十にはならないと思ひました。長老に対して礼を失しないやうに極めて慇懃な男でした。私等は繁華な町で電車を降りました。さうして人混みの暗い中で踊り(活動写真の事ならん)を見ました。それから電車に乗つて日本人の宿屋へ行きました。さうして日本料理を食べ日本の洗湯へもはいりました。私は其男に御礼として五拾銭を与へました。其男は笑つて居りました。それから其男が大阪で働くには大阪の勝手を知らなければならないからつて四、五日の間毎日〳〵大阪を歩きました。いろんな面白い見世物も見ました。雨が降つて一日家に居た事もありました。五日後に宿屋から支払を請求して来ました‥‥‥全部で参拾九円許り請求しられたのです‥‥‥私はびつくりしました‥‥‥さうしてモウお金がなくなる此支払の半分は私が払ふから、半分がお前が支払へと謂ひましたら‥‥‥其男は金は少しもないといふんです‥‥‥さうして附加へていふには‥‥‥其位の金は二三日働いたら直ぐ儲かる、日本に来て、こんなことで驚いては笑はれる‥‥‥と謂ふのです。
私は下宿屋に全部の支払をしました。さうしてモウお金がないから明日から働くといひました。其男は働くんだつたら、いつからでもいゝ早速連れて行つてやらう‥‥‥然し日本に来た朝鮮人は誰れでも親方に御土産として金を持つて行かねばならぬ‥‥‥さうすると仕事をする時に着る洋服を親方が呉れる‥‥‥それを着て仕事をするのだ‥‥‥と謂ふのです。私は拾円土産物として出せといふ其男に五円で辛抱してもらふやうに頼みましたら‥‥‥五円じや洋服代にも足らないが、然し特別に親方に頼んでやらう‥‥‥でも親方のところへ行つても、他の者には、五円の土産物だなんてふことを謂ふな、他の者は皆拾円出してるのだから‥‥‥と云つて出て行きました。
私は今に洋服を持つて帰つて呉れるだらうと、其夜は眠りもせず待つて居たんですが、無益でありました。其翌日も昼飯も食はず待つて居たんですが晩になつても帰つて来ません。宿屋からは参円の宿泊料を請求をされました。私は其時やつと五円許りの金しかありません。それで其中から参円支払つて其晩其処で泊めてもらつて翌朝其宿を出ました。待ちに待つた洋服も来なければ其男も来ません‥‥‥私はやつと詐欺にかゝつた事に気が附いたのでした‥‥‥何故警察署へ訴へなかつたかですつて‥‥‥私は、其時は、まるで日本語は知りませんし、また警察署といふ事も考へに浮ばなかつたんです。それどころじやありません、道を歩いてる間でも、今にも其男と遇ふ事がないかと思つて居た位です。
私は其日、幸に朝鮮人ばかり泊つて居る朝鮮人の宿屋を見出しました。さうして今迄の話しをしましたら、そいつは盗賊だと皆んなが云ひました。幸ひ翌日から、其処の朝鮮人と一緒に仕事に行けるやうになりました。仕事は土方です。卜ロ押をやりました。随分力がいりましたが、それでも、初めて日本で仕事をするといふ心の緊張が一日の労務を終わらせしめました。其日帰に壹円七拾銭貰ひました。四拾円ばかりの金は、二、三日働いたら儲かると盗賊は謂ひましたが、それは嘘だつたのです。然し壹円七拾銭といふ金は私にとつては決して少ない金ではありませんでした。下宿料は六拾銭でした。私は思ひました――これじあ一月に参拾円位、金を送れると。其晩、皆んなが酒を飲みますから、私も飲んで眠りました。其翌日から毎日働きました。体が痛いときもありましたがそれも辛抱しました。丁度半月ばかりしてからであります、雨が降つて皆んな一日休みました。其日皆んなで朝鮮の博奕をやりました‥‥‥私は勝ちました‥‥‥貳拾円ばかり勝ちました。私は其日早速故郷へ参拾円送りました――くすぐつたいやうな気持で――
斯の様にして私は暮しましたが暑くなる頃には毎日酒を飲む料は多くなり、だん〳〵金が残らなくなりました。少しばかり残ると、今度は博奕に負けたりして金を持たずに暮す日が多くなりました。其中身体の具合が悪くなり、足がだん〳〵重くなりました(脚気病になつたものである)。仲間の者はよくある病気だといつて居りました。私の病気はちつとも良くなりません。モウトロ押は出来なくなり収入は一日壹円位になりました。とう〳〵私は仕事に行けなくなりました。其時仲間の知人といふ人が来て私に鍼をして呉れました。私の病気はそれから非常に良くなりました、而して三日目から仕事に行けるやうになりました。然し其後鍼をして貰はなければ活気がなくて困るやうになり毎日〳〵鍼をして貰ひました。治療代ですか‥‥‥一回、参拾銭です‥‥‥(彼がいふ鍼はモルヒネ注射にして彼は此時、モヒ中毒症に罹りしものにして此注射が法律によつて禁止されて居る事も彼は承知して居たのである)
寒くなる頃から、友達の忠告でだん〳〵鍼を減らしましたが、もとのやうな元気は出ません。それでも仕事には行きました。然し力の要らない方の事をやるものですから収入は少しでした。其中に其仕事も、おしまひになりました。然し、幸ひ身体の具合が非常に良くなつたのですから、今度は道普請の人夫として働きました。此時は日に壹円五、六拾銭になりましたから相当金が残らなければならないんですが、交際が多いために国へ送金することは一回もしませんでした。ほんとに、私は、日本に来てから送金したのは、初めに参拾円と次に貳拾円の二回きりだつたのです。一年は過ぎました。私は日本へ来た者の中の古顔になりました。さうして、毎晩酒を飲んで博奕をやることが私の本職のやうになりました。とう〳〵私は下宿から追ひ出されました。それは私が悪いことをして警察署へ連れて行かれたからです。私は警察署で謝りまして、赦してもらひました。此度から一生懸命でやらうと思つたんですが、また、前の病気が出て来ました。さうして、充分働くことも出来ず、下宿する金もないものですから、今年の春から此廃船の中に住つて居ます。身体の工合の良い日は仕事に行きますが、半日位で止さなけりやならない程身体の加減が悪いときが多いんです――何故朝鮮に帰らないかつて――此侭帰つたつてどうすることも出来ません――故郷から何んともいつてこないかつてですが――私はモウ一年以上私の居所を知らしたことはありません‥‥‥妻や子の事を思ふと、私の血は湧きかへります‥‥‥
要するに私が国を出るときの決心と、日木に来てから私のやつたことゝは、まるで、矛盾して居るのです。かうして、私は失敗しました‥‥‥然し、私は未だ生きて行きます‥‥‥イエ、行かねばなりません。私は死ぬまで働きます‥‥‥これからは、きつと、貯金します‥‥‥オヽ五百円貯金が出来ましたら‥‥‥私は、つゝましやかに朝鮮へ‥‥‥妻子の許に帰ります‥‥‥
大きな成功を夢みて、遙々内地へ来住し、知らず知らずの間に、誘惑され、今ではどん底生活をして居る此日傭労働者が、故郷に残した妻子の事を思ふ其胸中や如何ばかりぞ、思ひやるだに、胸せまるを覚えるのである。近来は、来住朝鮮人労働者を詐欺的に誘惑するが如き不良鮮人は、影をひそめたが、尚、朝鮮人労働者の、僅な、懐中より種々奸策を弄して金を絞る輩がある、とのことである。
成功の裏には失敗がある。生存競争の敗北者が落ち行く先は………茲に、大阪府下に於ける朝鮮人の犯罪状勢を掲げ、彼等の犯罪がどの方面に多きか、犯罪の手と動機、尚、当局が朝鮮人を保護指導する主旨の下に、如何に、寛容なる刑事政策を執つて居るかの、参考に供せんとするのである。
(大阪府管下朝鮮人犯罪状勢) 大阪府
年次 |
犯罪件数 |
検挙 |
上欄の内 |
||
┏━━━━━━━━┓ |
┏━━━━━━━━┓ |
||||
件数 |
人員 |
受刑人員 |
不起訴人員 |
||
大正9年 |
225 |
256 |
258 |
14 |
244 |
大正10年 |
314 |
366 |
406 |
30 |
376 |
大正11年 |
477 |
496 |
748 |
61 |
667 |
大正九年(分類表)
罪名 |
犯罪件数 |
検挙 |
上欄の内 |
一罪中最も多き手口と其の件数 |
犯罪の主なる原因 |
||
┏━━━┓ |
┏━━━┓ |
||||||
件数 |
人員 |
受刑人員 |
不起訴人員 |
||||
強盗 |
3 |
3 |
4 |
- |
4 |
殴打脅迫3、其他1、 |
遊隋(ママ)4、 |
窃盗 |
133 |
170 |
100 |
6 |
94 |
掏摸30、空巣36、住込18、更師5、上リ5、万引1、其他5、 |
出来心11、盗癖8、利慾30、貧困12、浮浪結果20、 |
賭博 |
48 |
38 |
99 |
3 |
96 |
カブ11、カタメドリ1、シツピン1、花合3、 |
怠惰20、誘惑3、射倖心27、娯楽7、利慾11、常習3 |
傷害 |
20 |
21 |
29 |
4 |
25 |
平手殴打3、棍棒殴打1、 |
口論ノ末16、怨恨5、 |
過失傷害 |
2 |
2 |
2 |
- |
2 |
|
|
詐欺 |
10 |
13 |
11 |
- |
11 |
無銭飲食6、 |
怠隋(ママ)2、利慾1、貧困2、 |
毀欺 |
1 |
1 |
6 |
- |
6 |
|
怨恨6、 |
遺失物横領 |
4 |
4 |
2 |
- |
2 |
|
利慾2、 |
過失傷害致死 |
1 |
11 |
1 |
- |
1 |
自転車衝突 |
不注意 |
賍物故買 |
1 |
1 |
1 |
1 |
- |
|
利慾 |
失火 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
|
|
阿片法 |
1 |
1 |
2 |
- |
2 |
密輸出1、 |
利慾2、 |
計 |
225 |
256 |
258 |
14 |
244 |
|
|
大正十年中(分類表)
罪名 |
犯罪件数 |
検挙 |
上欄の内 |
一罪中最も多き手口と其の件数 |
犯罪の主なる原因 |
||
┏━━━┓ |
┏━━━┓ |
||||||
件数 |
人員 |
受刑人員 |
不起訴人員 |
||||
殺人 |
3 |
3 |
3 |
2 |
1 |
庖丁を以て刺殺1、 |
痴情1、憤怒1、怨恨1、 |
窃盗 |
173 |
221 |
139 |
14 |
125 |
空巣32、掏摸40、住込5、万引7、荷抜5、掻浚2、屋外2、更師1、上リ1、 |
懶隋(ママ)25、貧困19、盗癖5、出来心19、常習16、浮浪の結果11、遊蕩2、 |
賭博 |
75 |
75 |
164 |
6 |
158 |
カブ11、花合6、シツピン7、ハツタリ4、 |
射倖心41、常習19、利欲16、怠隋(ママ)8、娯楽7、誘惑4、 |
傷害 |
34 |
34 |
56 |
2 |
54 |
殴打17、足蹴1 |
飲酒7、怨恨10、嫉妬2、口論20、痴情6、 |
詐欺 |
10 |
11 |
12 |
- |
12 |
無銭飲食8、無賃乗車1、 |
貧窮4、小使銭に窮し6、利慾2、 |
横領 |
7 |
8 |
13 |
- |
13 |
|
利慾7、出来心2、貧困1、 |
遺失物横領 |
5 |
5 |
5 |
1 |
4 |
|
常習3、出来心2、 |
贈物収受 |
1 |
3 |
2 |
- |
2 |
|
利慾2、 |
恐喝 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
自転車衝突 |
貧困1、 |
過失傷害 |
2 |
2 |
2 |
- |
2 |
|
不注意1、 |
暴行 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
手拳殴打1、 |
飲酒1、 |
家宅侵入 |
1 |
1 |
7 |
4 |
3 |
|
賭博場所を提供せざるによる7、 |
歯科医師法違反 |
1 |
1 |
1 |
1 |
- |
|
利慾1、 |
計 |
314 |
366 |
406 |
30 |
376 |
|
|
大正十一年中(分類表)
罪名 |
犯罪件数 |
検挙 |
上欄の内 |
一罪中最も多き手口と其の件数 |
犯罪の主なる原因 |
||
┏━━━┓ |
┏━━━┓ |
||||||
件数 |
人員 |
受刑人員 |
不起訴人員 |
||||
窃盗 |
220 |
239 |
172 |
19 |
153 |
掏摸37、住込26、荷抜4、空巣18、更師15、上リ5、万引2、板場2、 |
出来心44、貧困34、利慾33、懶隋(ママ)10、教唆9、常習7、盗盗5、小使銭に窮し、10、 |
殺人未遂 |
3 |
2 |
10 |
- |
10 |
持兇器襲撃4、 |
怨恨10、 |
放火 |
1 |
1 |
1 |
1 |
- |
復讐1、 |
|
囚徒奪取 |
1 |
1 |
8 |
-0 |
8 |
|
官憲の取締に対し復讐心を惹起したるもの |
公務執行妨害 |
1 |
1 |
1 |
1 |
- |
|
|
業務上過失傷害 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
|
|
過失傷害 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
|
不注意 |
賍物収受 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
|
利益 |
失火 |
2 |
2 |
2 |
- |
2 |
|
|
恐喝 |
2 |
2 |
2 |
- |
2 |
|
利慾3、 |
賭博 |
134 |
134 |
365 |
7 |
308 |
カブ67、花合5、籤引1、賽本引1、 |
射倖心91、利慾54、娯楽22、遊隋(ママ)17、習癖6、誘惑3、 |
傷害 |
64 |
63 |
141 |
29 |
112 |
器物を持つて2、木片1、殴打10、庖丁1、小石下駄等を持つて2、 |
口論の末64、仕事上の争より6、飲酒3、復讐40、泥酔4、誤解2、 |
詐欺 |
19 |
21 |
20 |
- |
20 |
取込5、無銭飲食6、 |
貧困2、虚栄5、遊隋(ママ)3、利慾2、 |
横領 |
21 |
21 |
20 |
- |
20 |
委託品横領6、 |
貧困6、利慾4、出来心3、女郎買2、 |
業務横領 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
|
利慾1、 |
遺失物横領 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
|
利慾1、 |
器物毀棄 |
2 |
2 |
4 |
1 |
3 |
|
争論3、 |
商標違反 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
偽商標使用 |
利慾 |
鉄砲火薬類取締 |
1 |
1 |
1 |
- |
1 |
|
|
計 |
477 |
496 |
748 |
61 |
687 |
|
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表が示すが如く、犯罪中窃盗が最大多数を占め、次いで、賭博、傷害の順序である。重に労働者である朝鮮人の犯罪としては、此状態を首肯することが出来るが、元来、朝鮮人農民は其性質温和にして、寧ろ、遅鈍の感がある位である。然るに、彼等が内地に来住して、傷害罪を構成するやうなことをやるとは、全く、不思議な位であるが、一面、彼等が内地来住によつて、将た、又内地文化の刺戟によつて、如何に、其生活に対し神経質になつて居るかを、窺ふことが出来るのである。低級なる彼等は、徒らに、内地人を模倣せば足れりとなし、殊更に、内地土方などの下劣なる方面の挙動を、其侭、真似して、得々然たるものがあるのである。彼等が、割合に、喧嘩好きになつたとしたら、其れは、内地下層民の悪い方面の風儀を習つたものとも謂へるのである。
親告罪であるが故に、この犯罪統計表には表はれて居ないが、彼等の間に屡々行はるゝ犯罪事実がある。それは、私通、姦通の類である。朝鮮人来住者、男女別人員の判明せる府県について統計すれば、男七万四千六百五人に対し、女は一万一千十一人の少数である。地方によつては、青森、長野、島根、岐阜、新潟の諸県の如く、女一人に対し、男二十人以上のところもある。又和歌山、奈良、愛知、兵庫の諸県は、女の数が比較的に多いが、これは、紡績、機織業に使傭さるゝ女工の多きが為めにして、之れを、詳説せば左の如き有様である。
和歌山県 |
女 |
486人中 |
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紡績女工 |
409人 |
奈良県 |
女 |
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其他女工 |
23人 |
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346人中 |
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紡績女工 |
233人 |
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其他女工 |
38人 |
愛知県 |
女 |
743人中 |
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紡績女工 |
148人 |
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製糸女工 |
301人 |
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機織女工 |
99人 |
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其他女工 |
31人 |
兵庫県 |
女 |
1,389人中 |
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紡績女工 |
788人 |
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其他女工 |
127人 |
是等女工は、大概、寄宿舎生活をして居るものであるがら、一般朝鮮人労働者間に於て、朝鮮人の女は誠に珍らしがられて居るのである。朝鮮人労働者が、より有力なる仲間の為めに、妻を犯され、或は、奪はれて、相手が勢力者であるてふ事実の為めに、泣寝入りしたといふ物語りは、調査中、幾度か耳にしたところである。茲に、来住朝鮮人男女別人員の判明せる府県について、其状態を表示せば、次の如くである。
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男 |
女 |
女1人に対する男の数 |
調査月日 |
福岡県 |
11,031 |
1,245 |
8.88 |
6月末日 |
長崎県 |
1,664 |
86 |
19.35 |
7月末日 |
熊本県 |
606 |
34 |
17.82 |
6月末日 |
宮崎県 |
395 |
3 |
131.66 |
6月末日 |
山口県 |
4,407 |
465 |
9.48 |
6月末日 |
広島県 |
2,825 |
394 |
7.17 |
9月末日 |
岡山県 |
724 |
106 |
6.83 |
7月末日 |
兵庫県 |
4,113 |
1,389 |
2.96 |
6月末日 |
島根県 |
705 |
31 |
22.74 |
8月末日 |
鳥取県 |
161 |
10 |
16.10 |
- |
大阪府 |
18,283 |
3,702 |
4.93 |
9月末日 |
京都府 |
3,694 |
421 |
8.77 |
9月末日 |
奈良県 |
605 |
346 |
1.75 |
8月末日 |
和歌山県 |
609 |
486 |
1.25 |
- |
三重県 |
699 |
59 |
11.85 |
6月末日 |
岐阜県 |
3,343 |
152 |
3.99 |
6月末日 |
静岡県 |
1,249 |
177 |
7.06 |
9月末日 |
愛知県 |
2,139 |
743 |
2.88 |
8月末日 |
長野県 |
3,847 |
138 |
27.88 |
8月末日 |
山梨県 |
392 |
22 |
17.82 |
- |
東京府 |
5,146 |
353 |
14.57 |
8月末日 |
石川県 |
287 |
17 |
16.88 |
6月末日 |
新潟県 |
2,750 |
134 |
20.52 |
- |
栃木県 |
81 |
15 |
5.40 |
10月25日 |
千葉県 |
76 |
8 |
9.50 |
9月末日 |
山形県 |
130 |
15 |
8.67 |
9月末日 |
秋田県 |
52 |
- |
- |
8月末日 |
青森県 |
72 |
2 |
36.00 |
9月末日 |
福島県 |
336 |
88 |
3.82 |
9月1日 |
北海道 |
3,090 |
196 |
15.72 |
11月5日 |
樺太 |
1,094 |
174 |
3.68 |
11月末日 |
計 |
74,605 |
11,011 |
6.78 |
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備考 調査年は大正十二年
調査月日の記載なきものは調査月日の報告なかりしもの
三 内地社会と融合、社会化の程度
来住朝鮮人労働者は一般に、温順である。彼等は自ら内地人に抗争はしない、彼等は、好んで、内地の風俗に慣れやうとして居る。彼等が和服を着て誇り顔なる、内地社会に同化され得る、第一歩とも云ふ可きであらう。彼等が日常生活に、必要欠くべからざる、内地語に対しては、彼等は、之れに、熟せんと、大なる欲求を持て居るが、末だ全然内地語を解せざるもの、大阪府下に於ては、来住者の半数以上を占めて居る有様である。(九七頁統計参照)彼等の中でも、内地人の家に住込んで労働して居る者も相当ある。内地人と雜居の程度については、全国的の統計を有せざるも、大阪府下来住朝鮮人労働者二万一千九百余人中、二千四百余人(十二年八月)は内地人と雑居して居るのである。内地人と結婚して居るものは、大阪府下に於て、僅に、四十余名(大正十二年八月)を算するのみであるが、一般朝鮮人は内地婦人と婚姻する事を、殆んど、理想として、希つて居るのである。
彼等朝鮮人労働者の間に、別段、之れとして共通した思想はない。朝鮮独立の要求など謂ふことは、労働者間には考へられて居ないやうである。彼等は働いて、金を獲ることのみ焦慮して居る。たとへ、失業に悩む彼等一部の仲間にあつても、働かうと思つても、仕事がなくて傭つて呉れないのだから仕方がない、要するに、自分達の運が悪いのだと諦らめて、決して、現代社会組織を呪ふやうな思想の持合はせは、彼等、自身としてはないのである。然し、彼等は、殆んど、衝動的に附和雷同性を持つて居る、だから、此方面に指揮者があらはれたとしたら、自己の意思発動によらずして、或は、衆団的運動を起すかも謀り難いのである。殊に、朝鮮人労働者中の有力者と結婚する内地婦人の間に、一つの共通した流れが潜むことに、着眼するときに、こゝに何物かゞ意味されないかと、思惟するのである。
調査を終るに際して
以上の調査は、たゞ、朝鮮人労働者の一般を叙述したまでのものであつて、未だ、此問題については、尚、研究すべき幾多の事項が残されて居るのである。殊に、震災以来朝鮮人労働者は内地人に対し、非常に神経過敏となり、殆んど、如何なる質問についても――知らぬ――存ぜぬ――で押通すものだから、其以前の如き打解けた気持で談り会ふことが出来ないと、同時に、調査上これが禍して、機微を究むる上に、困難になつたことは、遺憾の極みであるが、然し、調査者はこれは一時的の変態現象であつて、相互了解するの日が必ず近き将来に来る可きものなるを信ずるのみならず、却つて、転禍為福の幸を以て、倍旧の親睦の実現を予感するものである。
朝鮮人労働者が、内地に来住する其目的は、等しく、物質、或は精紳的欲求の満足に、外ならないのである。さうして、彼等の大部分は冒険的に、何等内地の実状を知ることなく、一掴千金を夢みて、漫然と渡来するのである――聞いて極楽見て地獄――と謂ふことは、恐らく、彼等が内地に来住した当初の感じだらう。この悲哀の中から、彼等は――折角志を立てゝ内地に来住したのであるから、何んでも、出来るだけのことをやらう――と決心するのである。然し、沈滞に続くに、沈滞を以てする、内地一般労働市場の現状と、搗てゝ加へて、彼等仲間の来住の激増は、屡々、彼等をして、遥々、知らぬ異境に途方に暮るゝの不運を嘆ぜしむるのである。若しも、朝鮮人労働者が朝鮮に有る間に、内地の現状を熟知して居たならば、彼等は、決して、無謀の渡来を計画しなかつたであらう。
内地に来住して失敗落魄せし者にとつては、其以前、彼等が朝鮮に居た時に聞かされた、内地出稼者の巧言美辞と、小成金の土産譚は、実に、彼等を窮地に陷れる罠であつたのである。
朝鮮人労働者が内地に来住して、異りたる労働方法に適応する必要と、異りたる生活状態の下に生存せんとする努力は、彼等の精神に重大なる変化を与ふるものである。鈍感であつたものも敏感になるだらう、或種の不安と恐怖とは、常に、彼等をして虚勢を張らせしめる。彼等の職業の本質上、其活動は、略、一定の範囲に限られ、勢ひ、彼等の注意の目的も、其交際を結ぶ内地人の階級も、其範囲が限定されて居る。而も、それは、内地に於ける最下流の階級である。それでなくても、彼等は元来、重に、農民階級であつて、市民階級のものでない。朝鮮人労働者が、直ちに、内地社会の市民としては、不完全なること勿論である。茲に、同化指導の必要が生ずるのである。
朝鮮に於ける朝鮮人に対して、急激なる同化政策を行ふことについては、異論なきに非ざるも、一度、内地に来住して内地社会の一員となれる朝鮮人に対しては、充分に、同化政策を行はざる可からず。これ、個人の社会化に外ならないからである。朝鮮人労働者の無制限来住を認むることの、可否は茲に省きて、一度、内地に来住せしものについては、飽くまでも、保護指導すべきである。これ、我国民の義務である。然るに、島国的偏見を以て、同胞融和を欠くが如きは、これ、国民が国家生活並社会生活の真義を解せずして、小我の天地に跼蹐執着するが為めなりと謂ふも、過言でなからう。現状について述ぶれば、朝鮮人労働者が、(1)住居を得るに困難し、(2)労働能率を増進すべき何等の施設を有せず、(3)学齢児童中未就学児童の多き等の実状は、目下の急務として、特に、考慮すべきと同時に、朝鮮人労働者も、(1)内地に永住するの覚悟を持ち、(2)自ら分離して社会をつくることなく、勉めて自由に内地人の間に交り、(3)内地人の風俗習慣を採用し、(4)忠実なる内地人たるの心掛を持つべきである。
要之、朝鮮人労働者問題は、最早や、一都市の問題ではなく、実に、重大なる国家問題であると思はれるのである。而も、非常に困難な問題である。調査者は、たとへ、それが調査に対する興味の中心を失ふことになるとしても、其対応政策について、茲に、詳に、述ぶるの余裕を有しないのであるが、少くとも、朝鮮人労働者の現状に、光明を与ふべき要因の考慮は、何を措いても、なさゞる可からずと、思惟するのである。(大正一二、一二、八)
本書は、課員井上無三四をして、主として、本市在住の朝鮮人労働者の生活につき、調査せしめたる報告にして、その内容は一般に裨益するところあるべきを思ひ、こゝに公刊するに至つたのである。
大阪市社会部調査課